「痛みは主観的なもので他人には分からない。」という主張に、ウィトゲンシュタインは「手を怪我した人の痛みを知りたければ、自分の手を抓ってみればよい」と反論した。他人の心を覗くことはできずとも、人には誰でも他人の痛みに共感する能力が備わっている。だがこの能力が著しく欠如した種族がいるらしい。政治家という種族だ。 笹川自民党総務会長が講演で「うつ病で休業している教師が多い。国会議員には一人もいない。気が弱かったら勤まらない。」と発言したと報じられている。この人は児童の全人格に影響を与える教師という仕事の厳しさ・辛さ、うつ病患者の苦しさに全く共感することができないらしい。 政治家がマスコミから叩かれる辛い職業であることは認める。しかしその代りに巨大な権限を持ち、周囲からは「先生、先生」と持ち上がられ、「政治家を怒らせると怖い」と恐れられている。しかも、こういう言い方は狐と狸に大変失礼なのだが、その仕事の多くは狐と狸の化かし合いだ。国民生活に責任を持っているとは言っても目の前で苦しんでいる者と直接向き合っている訳ではない。実情はマスコミからの総攻撃を補って余りある美味しい商売なのだろう。だからこそ何が何でも我が子にあとを継がせようとする。本当に辛ければ可愛い我が子を後継者になどはしない。一方、教師は目の前にいるたくさんの生徒に対して重い責任を負っている。苛められてしょんぼりしている子、不貞腐れている子、様々な事情を抱える生徒たちと直接接し、話し合い、時には叱り、時には慰め、時には褒め、常に忠告を与え良い方向に人格形成がなされるように指導しなくてはならない。その責任の重さと仕事の難しさは政治家などとは比較のしようもない。しかも近頃は現場も知らずに訳の分からないことを要求する教育委員会や我儘な親から常にプレッシャーを掛けられている。うつ病で休業する教師が多いのは当たり前で、良心的な教師ほどうつ病になりやすいのが現状だろう。それを改善するのが政治家の役目なのに、教師を批判するとは聞いて呆れる。 うつ病患者には本人の性格や生活態度に問題がある者がいないわけではない。だがほとんどの患者は真面目に働き、真面目に生活してきた者たちだ。周囲からは誠実な善い人だと評判をとってきた人が多い。それなのに、うつ病患者を出来の悪い人間であるかのように語るとは無神経にもほどがある。そもそもうつ病が増え、自殺者が増加しているのに自民党政権はまともな対策をとってこなかったではないか。自分が反省することが先だ。 いずれにしろ、平然とこういう発言をする政治家に国民生活を改善することはできない。政治家はときには冷酷な選択をしなくてはならないときはある。だが自らの選択が多くの者を苦しめることになるという共感力がない者に冷酷な選択などされた日には国民は敵わない。「泣いて馬謖を切る」孔明という人は他人の痛みを知り自らを厳しく律した。だからこそ名宰相、名軍師と讃えられている。幾つかの軍事的失策を犯し膨大な数の兵隊を死に追いやったにも拘わらず名将と讃えられている乃木希典も同じだ。本来政治家は人格ではなく能力で選ぶべきだが、共感力を欠如した人物を選ぶと国民が後悔することを肝に銘じておきたい。 了
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