井出薫
百年に一度の経済危機?考えてみると随分楽観的な言葉だ。この危機を乗り越えれば百年は安泰だと言っているのだから。 屁理屈は別として楽観的な物の見方がいま必要とされている。二人の靴のセールスマンの話しをご存じの方は多いだろう。島に渡った二人の靴のセールスマン。一人は「靴は売れない。この島では誰も靴を履かないから。」と嘆き、一人は「たくさん売れる。誰も靴を持っていないから。」と喜ぶ。バブルの時代は幾らでも靴が売れるという楽観論者が市場に溢れ、あちらこちらで破綻した。だがバブルが弾けて一転靴は売れないという悲観論者が街に溢れている。バブルが示すように楽観的であることが良いとは限らないが、いま必要なことは楽観的で前向きな精神だ。 今でも、多くの発展途上国ではたくさんの人が食糧、衣服、住居、日常品にも事欠く生活を送っている。国内でも生活の貧しい人が増えている。これは確かに嘆かわしいことだが、見方を変えれば諸々の財やサービスを必要とする人たちが無数に存在することを意味している。だから資金の流れを工夫すれば靴は幾らでも売れるのだ。 悲観論が蔓延するとともに市場経済では駄目ではないかという声が聞こえだした。しかしそれは正しいとは思えない。市場は自由主義者が考えるほど優れたものではない。常に一定の規制と監視がないと暴走して機能不全に陥る。だが市場は不況から脱出するときに寧ろ有効になる。金があるところに人は群がる。さもしい根性と言われるかもしれないが、それが現実だ。だから政府や中央銀行が資金を投入しその資金が円滑に循環するように促せば市場は社会に富をもたらし人々の暮らし向きは良くなる。計画経済は机上では良策を考案できても現実には広く社会のコンセンサスを得ることができず、独裁的・抑圧的な政治経済運営を余儀なくされ社会は停滞する。 鍵を握るのは資金が円滑に循環するかどうかということだ。資金がどこかに退蔵してしまえば経済は活性化されない。資金が循環するためには人々に楽観論が広がり気前良く支出するようになることが欠かせない。そのために必要なものは何だろう。それは「信頼」という言葉で要約できると思う。一つは政府や中央銀行が良い政策を打ち出し人々の政府への信頼感が増すことだ。もう一つ、そしてより重要なことは人々が他人を信頼することだと考える。大抵の人は欲張りだが基本的には善良で他人のことを気遣い、嘘を吐かない。そして他人も同じだと無意識のうちに信じている。だから深刻な民族的、宗教的対立、余程の困窮などに陥らない限りは、自分の利益はちゃっかり確保するが、概ね互いに信頼しあい協力して暮らすことができる。信頼の源泉は自然的なものと思ってよい。その事実をよく思い起こせば他人への信頼感は増し不必要に悲観的になることはない。そして人々は総じて楽観的で前向きに行動できるようになる。 いずれにしろ2009年は景気低迷が続くかもしれないが、楽観してよい材料はたくさんある。ただ今回の危機など危機のうちに入らず、遠くない将来、より巨大な危機が到来し資本主義体制を抜本的に改革せざるを得ない日が遣ってくる可能性がある。その日に備えて基本的には楽観的に、かつ頭の片隅では悲観論的な思考法を養っておくことが賢明だろう。 了
|