☆ 歴史は繰り返すか ☆

井出薫

 「ヘーゲルは歴史上の大事件と大人物は二度現れると言った。しかし、彼はこう付け加えるのを忘れた。最初は悲劇で、2度目は茶番劇だと。」マルクスは、ナポレオン3世登場の時代を評論したその著「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」にこう記している。

 グルジアを巡るアメリカとロシアの対立は新冷戦などと称されている。国内では、小林多喜二の「蟹工船」がベストセラーになり共産党員数が急増している。歴史はやはり繰り返すのだろうか。

 新冷戦については、マルクスが皮肉ったように、どうも茶番劇に終わりそうな予感がする。アメリカとロシアの間に明確なイデオロギー対立があるわけではなく、石油などの既得権益への思惑や民族意識の高まりへの恐れがあるに過ぎない。おそらくアメリカもロシアも本気でエスカレートするつもりはなく、両国が互いの利益を確保したところで手打ちがおこなわれるに違いない。勿論、冷戦時代に戻ることなど御免蒙りたいし、況や本気で戦争など始められては元も子もない。聊か見苦しいが茶番で終わりにして結構だ。ただ、今回の事件が世界の人々の現状認識を深め、より良い世界を模索する上での手掛かりとなる可能性はある。それに是非期待したい。

 一方、共産主義への関心の高まりは単なる茶番とは言えない。金融商品を運用するだけで膨大な富を手にする者がいて、企業が空前の利潤を得ている一方で、身分保障がなく労働条件も劣悪な派遣社員や業務委託で働く社員が増えているのは紛れもない事実だ。対策が叫ばれながらも自殺者が3万人台という高水準で推移していることも見逃せない。全選挙区での候補者擁立の見送りなど選挙戦略の見直し、インターネットによる党大会の公開など変化の兆しが伺えるとは言え、依然として中央集権的な体制が維持されているなど旧態依然の感が拭えない現在の日本共産党では党勢拡大にも限界があるが、時代の流れを的確に把握して新しい党体制を生み出す知性と柔軟性と気概を育みそれを実行に移せば、日本の政界で、共産党が強力な対抗勢力となる可能性は十分にある。「マルクスは世界的に再評価されている」、「蟹工船がヒットして、共産主義への若者の関心が高まっている」などと言って自己満足に浸っているのではなく、現代の日本社会そして世界の在り方に批判や不満を持つ者たちに対して、自説を主張する前に、その声に耳を傾け何が問題の本質なのか、何をなすべきなのかを真摯に考えることができれば、一段の飛躍が可能となる。20世紀型の共産主義は明らかに失敗に終わった。独裁的な政治体制を別にしても、ソ連・東欧の中央集権的な計画経済は勿論、旧ユーゴスラビアや一時期のポーランドなどで行われた労働組合による企業管理も上手く機能せず、経済体制としては20世紀型共産主義が破綻したことは否定できない。21世紀が環境の世紀だとしても状況が一変するわけではない。私たちの経験は、資本主義を克服した社会でも市場機構や貨幣(あるいはそれに相当するもの)は経済運営に不可欠な道具として存続することを教えている。しかしながら、経済活動が利潤獲得という動機で駆動される資本主義が永遠に機能し続けるとは思えない。環境に優しい循環型社会=脱資本主義社会というのは短絡的な発想だが、それでも歴史が脱資本主義へと向かっていく可能性は高い。利潤獲得とは異なる動力源を有する市場経済と真に公平な民主制社会、こういう未来が想像できる。ただ勿論注意も必要だ。「共産主義実現」、「人民大衆のため」、こういう美名の下で、如何に多くの人権侵害や非道な暴力が繰り返されてきたか、日本でもかつて過激派の暴力で多数の尊い人命が失われた、その歴史的事実を忘れてはならない。暴力や人権抑圧が繰り返されたら、今度こそ共産主義に最終的な止めを刺す必要があるということになってしまう。共産主義に関心を持つ若者には、一時の熱狂で動くことなく冷静に物事を考え行動することで社会を変えていく、こういう姿勢が強く望まれる。

 いずれにしろ、寄せては引く波が少しずつ海岸線の形を変えていくように、人間の社会もまた同じことを繰り返しながら少しずつ変わっていく。人々が世界の現状をよく理解し、熟慮と真摯な討議を通じて良い方向へと動いていくことを期待したい。



(H20/9/1記)


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