☆ 鉄は国家なり ☆

井出薫

 新日鉄八幡製鉄所の火災の報で、かつて鉄鋼業界の幹部が「鉄は国家なり」と豪語し、経団連の会長職を新日鉄出身者が独占していた時代を思いだした。

 時代が変わり、日本経済の牽引役は自動車業界や家電業界に移り、ICTやバイオが先端技術の象徴となった現在、鉄鋼産業の影は薄くなった。経団連のトップも自動車業界や家電業界から選任されるようになっている。だが、大量生産・大量消費・大量廃棄、都市の限りない膨張を象徴とする現代文明の中心的な担い手が鉄鋼業であることに変わりはない。鉄こそが現代文明の屋台骨を担っている。19世紀末から20世紀初頭、まさに現代資本主義の興隆期に活躍したベンヤミンは、鉄が建築材料となったことが近代資本主義を象徴すると語っている。それは産業だけではなく人の頭も支配した。このベンヤミンの洞察は現代社会にも的中する。

 いま、この世界から突然鉄が消えてしまったらどうなるだろう。ビルは崩壊し、自動車は走らず、給水も発電もできなくなり、製油所や化学工場は稼働停止になる。農業や漁業など第一次産業の生産性は産業革命以前、いやそれよりも遥か以前の水準にまで後退する。鉄なくして現代人の生活は成り立たない。鉄は原油と異なり耐久財であり、循環的利用も可能なため、短期的には原油が途絶えるより衝撃は小さいが、長期的には鉄の供給が途絶えれば現代文明は確実に崩壊する。人間の生命を支えるのは太陽と大気と水の恵みである植物、現代文明を支えるのは鉄、こう言ってもよい。

 都庁庁舎はタックス・タワーと批判されているが、天空に向かって聳え立つその威容は多くの者を魅了し、東京タワーと並んで東京見物の名所として親しまれている。天空を目指す高層ビルやタワー、それは近代資本主義を生み出した精神、そして今もそれを引き継ぐ現代人の精神を象徴し、そこに人々は剥き出しの鉄骨を目にしていないにしても、鉄という強靭な骨格を感じ取っている。それは自然に対する人間の輝かしい勝利の証でもある。

 鉄は現代文明だけではなく地球と生命にとっても決定的な役割を担う。地球の中心部は鉄が主成分となっている。地球が形成される過程で鉄が中心へと沈んでいくことが安定な大地と海洋を生み出すために決定的な役割を果たした。鉄はまた重要な生元素であり、海洋ではしばしば鉄の供給不足が生物量を制限する。地球の進化の過程で誕生した知的生命体である人間が鉄を中核とする文明を生み出したのは自然の摂理と言うべきかもしれない。

 しかし、人間が自然に勝利するなどということはありえず幻想に過ぎない。同じように鉄が如何に重要でも「鉄は国家なり」も幻想に過ぎない。鉄の使用をゼロにすることはできなくとも、私たち人類は鉄に依存した社会から脱却することができるし、環境や資源問題、さらには都市の過剰な膨張が生み出す貧富の拡大を考えたとき、それは不可避の事業でもある。

 製鉄所の火災は無理に消火しようとすると一酸化炭素が発生して危険なため、延焼を防ぎ鎮火を待つしかない。「鉄は国家なり」は鉄に依存した現代文明とともに国家そのものが脆弱な共同幻想的存在でしかないことを物語っている。この言葉を超えた世界を構築すること、それが現代人にとって忘れることが許されない宿題なのだ。



(補足)
 地球温暖化問題もあり石油の使用量を削減することばかりに目が向きがちであるが、寧ろ鉄の使用量を削減することを目標とした方が有効だろう。なぜなら鉄の使用量を削減するためには自動的に石油の使用量も減らさなくてはならないからだ。ただ石油の使用量を減らすことよりも鉄の使用量を減らすことの方が遥かに難しい。逆に言えば、このことこそが、現代文明の基盤が、石油でも、電気でも、コンピュータでもなく、鉄であることを示している。

(H20/7/31記)


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