井出薫
少子化対策の必要性が大声で叫ばれているが、少子化の何が問題なのだろうか。 男性が育児に協力しないため女性が子供を作れないあるいは仕事ができない、収入が低くて子供を育てられない、こういう現実は改善しなくてはならない。だが、いくら男性が協力しても収入が高くても育児は親にとって負担が大きい。充実した教育を与えようとすればそれほど多くの子供を育てることはできない。しかも楽しいことがたくさんある現代、子供は二人で十分という夫婦は少なくない。自由で民主的な社会では、国家が国民にたくさんの子供を産み育てることを強制するわけにはいかないから、政策で人口減少を防ぐことには限界がある。 そもそも人口が減少するとそんなに大きな問題が起きるのだろうか。高齢者の保険料負担をする者がいなくなると危惧する声があるが、例えば週3日かつ1日4時間勤務のような就業形態を作れば高齢者で仕事をしたいという人がたくさん見つかる。仕事の内容によっては高齢者の方が若者より勝ることだってある。何より程よい仕事は生き甲斐に繋がる。少子化対策よりも高齢者の知識と経験を活用する施策を考える方が現実的だ。どうしても若い労働力が必要であれば労働市場を開放し移民を積極的に受け入れればよい。 確かに少子化が進み若者が減ると社会の活力が減退する危険性はある。だが世界全体を見渡せば人口爆発が継続しており食糧不足が懸念されている。それゆえ日本のように少子化人口減少が進む国があることは、全体から見れば必ずしも悪いことではない。先進国が人口減少し世界から広く移民を受け入れるようになれば、民族の融和が進み、貧富の格差が解消され、環境問題の解決のめども付くだろう。最初は移民の流入が文化的、民族的な軋轢を生むことが予想されるが、寛容の精神と対話の継続で解決することができる。 人口減少を大問題だと騒ぐ背景に、偏狭なナショナリズムが潜んでいるように思えてならない。膨大な人口を誇り今もなお増加し続ける中国人やインド人に対し、衰退する日本人という近視眼的な危機感に煽られ、偏狭なナショナリズムが人々の心に植え付けられているのではないだろうか。環境や貧困の問題など21世紀が解決しなくてはならない主要な課題は国境や民族を超えており、偏狭なナショナリズムの克服が欠かせない。少子化対策を立案実施する前に、まず少子化の何が問題なのかじっくり考えてみたい。そうしないと少子化対策は迷走し結局日本のためにも世界のためにもならない。 |