井出薫
何事でもそうだが話題になるとそれを批判する者が出てくる。地球温暖化へ関心が高まるに連れて、それを批判したり疑問視したりする声が増えてきた。 地球温暖化が人間活動に起因していることが完全に証明されたわけではない。地球温暖化が人類や自然環境に致命的な影響を及ぼすかどうかも未だはっきりしない。天候の異変を全て地球温暖化で説明しようとするのは間違っている。地球温暖化問題を重視する立場に批判的、懐疑的な者たちの反論にも一理ある。だが、それでも地球温暖化対策が喫緊の課題であることに変わりはない。 これはリスクの問題だ。大山鳴動して鼠一匹ということになる可能性はなくはない。だが後から悔んでも手遅れになる。公害は限られた人に甚大なる被害を与えたが、被害者は限定され加害者もはっきりしていた。被害者の健康は完全には回復せず、汚染された河川や大気も元には戻らなかったが、それでも、被害の拡大を防ぎ責任者を罰し被害者へ一定の救済をすることはできた。だが地球温暖化で壊滅的な状況が生じたらもはや復元は不可能になる。加害者を特定し責任を取らせることもできない。ある意味で全員が加害者であり被害者になる。だからこそリスクを回避するために今から対策を練り実行する必要がある。未解決の問題が数多く残されているからと言って、地球温暖化対策は不要だということにはけっしてならない。 しかも地球温暖化への取り組みは人類に新しい時代をもたらす可能性を秘めている。これまで国際問題はほとんどの場合強者の力で解決されてきた。だが地球温暖化には強者も弱者もいない。被害は全ての者に及ぶ。最初に大きな打撃を被るのは主として貧しい者たちだろう。だが如何に強力な兵器や膨大な富を手にしていても、地球温暖化が後戻りできない段階まで進めば誰も逃れる術はない。だから対立を超えて世界の人々が協力し知恵を出し合い実行することが問題解決に不可欠となる。 過去の歴史はそれが極めて困難であることを教えている。だが今まさに困難を克服しなくてはならない時が到来している。そして、これまで人類が他の生物と同じように環境に適応してきたことを考えれば、地球温暖化という新しい状況の中、敵対ではなく寛容と融和を選択する可能性は必ずある。地球温暖化への取り組みは私たち人類が未来に明るい光を見出せるかどうかの試金石となる。そのことを肝に銘じておきたい。 |