☆ 競争の光と影 ☆

井出薫

 知人に鬱病を患い退職した者がいる。幸いなことに病気や事故で収入を失った時に保障をする保険に加入していたので、辞めても以前の給与とほぼ同額の保険金を受け取ることができ当座の生活に困ることはない。とは言え病気は辛い。まだ若い彼には働いていないこと自体が苦痛だろう。

 競争は経済発展を促し社会を豊かにすると信じられている。ソ連・東欧の共産主義が崩壊し、中国が市場経済に転換して成功したことからも、このような思想に一理あることは間違いない。だが競争激化の煽りで彼の職場では大リストラが行われ、それまで3人でしていた仕事を一人でやらなくてはならなくなった。深夜帰宅は当たり前、土日の出勤も続いた。そんな中で彼は発病した。

 彼が競争の犠牲者であることは間違いない。ただその一方で彼が保険を受け取れるのは、ある意味で競争の成果と言える。30年前だったら、失業してもらえるのは期間限定の失業保険だけで、金額は給与よりずっと少なかった。競争で保険会社のサービス開発が促進され様々な新しい保険が登場した。彼が利用しているのもそういう保険の一つだろう。

 競争には利点もあり欠点もある。今の彼にも両方が現れている。だがどう見ても欠点の方が大きい。競争の欠点よりも利点を享受している者もいるだろう。だが周囲を見回すと競争の犠牲になっている者が多いように感じる。社会の豊かさとは個人の豊かさを意味する。国や企業が幾ら権益や利益を得ても、それが全ての国民に還元されないようでは、社会は豊かになったとは言えない。パソコン、大画面テレビ、携帯電話、ゲーム機など膨大な新商品に取り囲まれて、人々は豊かになったという思いを抱いている。だが果たして本当にそうなのか。格差の拡大が目立つ今、競争神話から目を覚ますべきときが来ているように思われる。

(H20/4/8記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.