☆ 表現の自由が危ない ☆

井出薫

 映画「靖国」が上映中止になった。東京では観ることができないのでどんな映画か知らない。別に観たいとも思わないが、海外で賞を受賞し文化庁も助成金をだした映画が上映されないというのは異常事態だ。

 事情はよく分からないが、当初上映を予定し中止した映画館の言い分は「周囲に迷惑が掛かる」というもののようだ。だがこれには疑問がある。右翼の街宣車に取り囲まれれば確かに近所迷惑になる。思わぬ事故が起きるかもしれない。しかし事前にそういう予告や脅迫があったのであれば表現の自由を暴力で侵害する者として警察に告発することができるはずだし、告発を受ければ警察は国民の権利を守るために対策を取る義務があり、警察の政治的中立性にいささか疑念があるにしても然るべき措置はするだろう。直接予告がなかったとしてもその予兆があるだけでも警察に警備を要請することはできる。

 自分たちの思想と相容れないからと言って映画の上映を妨害するような輩は民主制と人権を守るためにも排除する必要がある。映画がその性質からして強い思想的・政治的メッセージを持つことは必然であり、映画という芸術を守り、自由に市民が鑑賞できるようにするためには、政治的・思想的な圧力を厳しく排除する努力と勇気が求められる。映画館にもその勇気を持ってもらいたかった。

 とは言え映画館も暴力が怖いのは当然で弱腰と非難することはできない。大きな問題は今回の上映中止に対して政治家の関心が薄いということだ。少なくとも野党は本件に強い関心を示し、政府に対し、政治的な圧力がなかったか、人権侵害に繋がる右翼の暴力的行為に対し毅然とそれを排除する用意と覚悟があるかを質す義務がある。政治が表現の自由を断固擁護し暴力を排除する強い姿勢を示せば映画館が上映を見送ることはなかったはずだ。

 だが無関心なのは政治家に限ったことではない。今回の事件に対し、予想外にマスコミも国民も関心が薄いというのが筆者の感想だ。暫定税率、物価上昇、株価の乱高下など目の前に問題山積でそこまで注意が回らないということなのかもしれないが、嫌な感じがする。日本は民主的で自由な国だと多くの人は信じている。筆者も概ねそうだと考えている。だが民主制と自由はけっして堅固なものではない。元来群れをなす動物である人間は自主独立の道を歩くよりも群れと力に依拠して生きる方を選びたがる(筆者もそうだ)。だからこそ、一人一人の市民が、そしてメディアが、常に民主、人権、自由、平和を守るために地道な努力を続けていかなければ、民主制も自由もあっと言う間に崩壊してしまう危険性がある。

 今からでも遅くない。市民の声を結集して映画の上映を実現するべきだ。勿論心ある政治家とメディアの協力が欠かせないのは言うまでもない。

(H20/4/2記)


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