☆ 資本主義に競争を ☆

井出薫

 規制緩和、競争促進政策で過剰なまでに競争が激化し、ルールを守り競争すれば社会は活性化して豊かになるという幻想が現代社会を支配している。たしかに競争は新しい技術やサービスを生み出し社会の富を増進する効果がある。だが競争は膨大な資金を有する大企業を利して中小企業を苦境に陥れる。調達量が多ければ納入業者は安く納品するが中小企業の発注量は小さく調達に競争を導入しても効果は薄い。高く仕入れて安く売ることになるから業績は悪化する。人件費の削減を余儀なくされて従業員の士気は上がらず採用もままならない。個人でも高所得で多額の資産を有する者はリスク分散しながら高利回りで資産運用ができ益々豊かになるが、低所得者や借金生活者の生活は苦しくなる。

 こんなことは誰でもできる簡単な計算だ。大企業やその従業員、金持ちが遣らない地味で辛いが社会生活に不可欠な仕事をしているのが中小企業であり低所得者層だ。中小企業や低所得者が破綻すれば、金はあるのに食事に苦労し、トイレは汚れ誰も使えなくなる。ところが中小企業や低所得者層を守ろうという機運がさっぱり盛り上がらない。どうしてこんなことになったのだ。

 資本主義の下での競争は激しくなった。だが資本主義そのものは競争がなくなった。言うまでもない、共産主義が崩壊したからだ。共産主義が国内外で大きな勢力だった時代、資本主義は労働者の労働条件、生活条件の改善に努めなくてはならなかった。地味で辛い仕事が社会を支えていることを認めていた。ところが共産主義という競争相手を失うことで、資本主義は無競争になりモラルハザードに陥った。利益を上げることが自己目的化して社会を良くすることは二の次になった。人々は自分の富を増やすことだけに熱中して、自分が困らない限りは貧困問題に無関心で、内容を問わずベンチャーで成功することを称賛する一方で地道な仕事を軽視する。

 状況を変えるには、社会体制そのものに競争原理を導入することが不可欠だ。そのためには与党と野党で目指す政治経済体制にはっきりとした違いがあることが望ましい。言論や報道にも思想的な広がりが求められる。ところが自民党と民主党の政策の違いははっきりせず、朝日がかつての読売のようなことを言ったりする。現実的であることは良いことだが、この有様では社会体制に競争を持ち込むことは不可能だ。

 たしかに難しい時代であることは間違いない。20世紀の共産主義は自滅した。それを専ら共産党指導部の誤りが原因と考えることには無理があり、マルクスの思想そのものに欠陥があったと考えるしかない。「資本論」の現代的な意義を強調しても新しい選択肢は生まれない。大きな政府か小さな政府かという選択は重要な論点となるが、資本主義にモラルを導入するほどのインパクトはない。

 マルクスに代わる改革の思想が必要だが、見つかっていない。そもそも「思想」なるものに期待することが時代遅れだと言われるかもしれない。しかし思想は本人がそれと気が付かなくても人々の行動を規制している。目の前にある現実的な課題を解決することは勿論重要で第一の任務だが、根源的な思想の探究も欠かせない。思想だけで社会を変えることはできないが、思想を欠けば改革は不可能になる。そのことを社会のあらゆる層の人に考えてもらいたい。

(H20/3/23記)


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