井出薫
また日本の調査捕鯨船が過激な捕鯨反対団体の攻撃を受けた。乗組員に危害を加えるようなことは許されないし、捕鯨を野蛮だと非難する者には反感を禁じえない。だが、調査捕鯨は本当に必要なのだろうか。科学的調査と称して結局は捕鯨を継続しているだけではないのか。 子供の頃、鯨は貴重な栄養源だった。鯨を使った工芸品などは日本の貴重な文化だという主張も分かる。しかし今の日本で栄養源として鯨が不可欠だとは言えない。文化は時代とともに変わり廃れていく物があれば新しく興ってくるものもある。50年前アニメが日本文化の象徴になるなどと誰が思っただろう。 世界の多くの人が、鯨の数が増えている、いないにかかわりなく、鯨という知能が高く地球で最大の動物に対して畏敬の念を持ち、食用にするべき対象ではないと考えている。食用に育てていると言っても犬を食べると聞いたら日本人には相当な違和感がある。それと同じことなのだ。有数の経済大国である日本は、この世界の趨勢に従うべきではないだろうか。 国内には、鯨が増え過ぎて貴重な魚が減少しているという意見がある。だが、これは捕鯨を正当化する理由にはならない。この議論が正しいとすると、人類が滅びると海は鯨だらけになり貴重な魚が消滅することになるが、そんなことが起きるはずはない。ここ数百年間、人間が鯨にとって天敵だったかもしれないが、鯨も魚も人類の文明史など比較にならないほど長い歴史を生き抜いてきた。人間が余計なことをしなければ、自然が鯨と魚の間に程よいバランスを生み出していく。 たしかに鯨を使った素晴らしい工芸品が消えていくことは寂しい。優れた職人が腕を揮う機会がなくなることは気の毒だ。だが常に変化が求められる現代、こういう悲劇を避けることはできない。悲しい現実かもしれないが、日本も捕鯨を放棄するべき時が来ている。 |