☆ 難しいメンタルヘルスケア ☆

井出薫

 心を病む者が一向に減らない、いや、むしろ増加傾向にある。政府や自治体、企業なども様々な取り組みを行っているが効果があがっているとは言い難い。

 元来、日本社会には鬱になりやすい土壌がある。気真面目で他人の評判をひどく気にする日本人は、良く言えば思い遣りがあり、悪く言えば自立心に欠ける。他人への度の過ぎた依存と配慮から自らを気が付かないうちに追い込んで鬱への道を歩んでしまう。時代が変わり、日本人の考え方、行動様式は変わったなどと言われるが、今の若い人たちを見ていても、30年上の筆者とメンタル面で大差はない。パニック障害と鬱症状に悩まされた経験から、今の若者たちも同じ危険因子を保有していることが感じ取られる。今は元気でも将来要注意だ。

 近年、鬱病がありふれた病気だと広く世間で認識されるようになった。大企業では「鬱病」で病気休暇が容易に取得できる。しかし、その一方で「鬱病」という病名が余りにも安直に使用され独り歩きしている。誰にでもある一寸した気分の落ち込みや苛立ちをすぐに鬱病だと勘違いして大騒ぎする例も少なくない。こういう人たちが精神科や心療内科に診察に行くと、自分の不調を滔々とまくしたてるが、その精力的な行動は鬱病には似つかわしくない。本格的な鬱病になると元気がなくなり医師に症状を訴えることすら容易ではなくなる。ところが、こういう鬱とは言えない人たちが医師の診療時間を独占して、本当に治療を必要とする人に目が行き届かない事態を招いている。だからと言って、こういう人たちが心の病の予備軍であることも事実で、「鬱でも何でもありません。もっと頑張りなさい。」と言って追い返すこともできない。心の病にならないように自分を労わることは大切だが、甘やかしてはいけない。自分を甘やかすと、却って心が弱くなり将来重い心の病を患うことに繋がるし、周囲の負担が増えて周囲に鬱病患者を増やすことにもなりかねない。しかしながら、現実にはこのあたりのさじ加減が難しい。鬱病など心の病が広く認知されたことは一般論としては良いことなのだが、それが心の病を減らすことに繋がっていない。

 鬱病が認知されてきたにも拘わらず、治療が不可欠な人が治療を受けていないという現実がある。精神科医、心療内科医、臨床心理士、いずれも、自分から出向いて鬱病患者を探して歩くわけにはいかない。患者自らが診察に来るのを待つしかない。だが重い鬱病になる人ほど無理をして診察に行こうとしない。そうなると周囲が気を付けないといけないが、こういうタイプの人は決定的に悪くなるまで表向きは元気な姿を装っているからなかなか気が付かない。薄々感じ取ったとしても「君、最近鬱気味ではないか」とは口には出し難い。心の病は広く認知されたとはいえ、やはり大声で話すことはできない。

 このように効果的なメンタルヘルスケアの処方箋がないのが実情だ。だからと言ってこのまま放置しておくわけにはいかない。競争至上主義社会が悪いのだと言うのは簡単で、事実それは一面の真実なのだが、そう簡単に社会の流れを変えることができない以上、自分自身と周囲の者だけでも心の病にならないように自衛策を取る必要がある。そのためには、医師や臨床心理士、心の病を患ったことがある者を中心に自分たちの体験を共有することが有益ではないだろうか。それもインターネットという間接的なコミュニケーションではなく対面の場で共有できることが望ましい。忙しない現代、そういう場を設けることは容易ではない。だが行動を起こさなければ何も改善されない。各人が勇気を持って行動を起こすべきときだろう。

(H20/2/24記)


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