☆ 学問、政治、市民 ☆

井出薫

 学問と政治は切っても切れない関係にある。経済学、政治学、法学など社会科学は勿論のこと、自然科学やその応用技術は政治に巨大な影響を及ぼす。その一方で政治の学問への影響も巨大で、研究に膨大な費用が掛かる自然科学では政府の支援は不可欠で、政治が様々な科学研究の社会的意義をどの程度認めるかで研究成果は大きく左右される。社会科学でも政治動向が研究の方向性に大きな影響を及ぼす。

 学問と政治(並びにその主役であり基盤である一般市民)との関係はどうあるべきだろうか。それぞれが自律し、かつ、相互交流が盛んで、しかも双方が批判的であり同時に協力的であることが望ましい。かつての共産主義国では、政治と学問が安易に一体化され、権力への批判者には非科学的・反動的、人民の敵というレッテルがはられ人権無視が罷り通り、学問、政治双方の発展を阻害した。この歴史的教訓が示すとおり、政治と学問の独立が保障された制度は欠かせない。

 しかし、経済理論が政策の選択と実行に大きな役割を担い、自然科学と応用技術が産業と人々の生活に決定的な影響を与える現代、両者を適当な距離に置くことは容易ではない。政府の諮問委員会などでも結論が専門家の考えに左右され、一般市民の視点が置き去りにされることがある。一般市民の視点を代弁するべき政治家や官僚は専門知識が乏しく専門家の主張を鵜呑みにする。マスコミも知識が不十分だったり、視聴者・読者の興味を惹くために特定の学問的成果や研究を過大評価したりして、政治家や世論をミスリードすることが多々あり、政治・市民と学問の仲介者として十分機能していない。

 このように学問が政治を支配して市民の視点が無視されることが珍しくない。学者と言っても専門分野外では素人でしかも自分の専門の社会的意義や成果を誇大広告する嫌いがありその言葉を鵜呑みにするのは危険だ。一般市民や政治家、他の分野の学者からの健全な批判が欠かせないのだが、必要な制度や習慣がなく、またそれだけの力量を持つ人材が乏しい。

 その一方で、学者たちの正当で価値ある提言や批判が政治家や世論に無視されることも日常茶飯事だ。

 専門分化が広範囲に進んだ現在、高等教育の普及と情報通信技術の進歩にも拘わらず、政治家や一般市民が学問の現状を正確に把握することは至難の技になっている。NHK教育、市民講座、放送大学、社会人向けの大学・大学院がそれを補う役割を果たしているが、専門家の視野が狭いために内容が陳腐でバランスに欠けることが多く、資格や学位を目指すのではなく広い視野で教養を高めることを目的とする一般市民のニーズを満たすことができていない。NHK教育などは比較的広く一般市民に教養を与えるという目的に貢献しているが、他の組織は資格取得や学位のための機関、普通の大学や専門学校の代替機関と化している。これでは、学問と政治並びに市民との間に好ましい関係を構築することはできない。

 インターネットの普及は新しい可能性を生み出しつつあるが、現状では情報が偏っており信憑性にも乏しい。だからと言って専門家や政治のインターネットへの過剰な介入は好ましくない。残念ながら現時点では高い可能性を秘めながらもインターネットの有効性は限定的と言わなくてはならない。

 仕事や育児に追われ、真剣に取り組むには相当のエネルギーが必要となる学問に興味を持つ暇などないというのが多くの市民の実情だろう。筆者が様々な学問に興味を持ち、それをネタにしていい加減なエッセイ?を書いていられるのは独身で今のところ生活に困っていないからだ。貯金が底をつき、あるいは(その可能性はゼロに等しいが)結婚でもしようものなら、こうはいかなくなる。

 環境破壊、資源枯渇、新型ウィルス、薬害、ITの社会的影響、生命操作技術の普及、今日ほど、学問と政治並びに市民との間に適切な関係を必要とする時代はなかった。だが、現状は理想に程遠い。この課題の解決を目指すには、一部の政治家や官僚、あるいは市民の自主性だけに任せておくわけにはいかない。地方自治体や企業などに、市民並びに社員が(例えば四半期に最低一週間程度)定期的に教養講座の受講ができるような環境整備を義務付けるなど新たな施策が必要だろう。ただここでも何を講義のテーマとするかで政治家や専門家が政治的駆け引きを展開することが予想される。これが厄介な問題だ。

 第2、第3の義務教育期間を設けたらどうだろうか。30歳から40歳の間、50歳から60歳の間、それぞれ2年間から3年間の義務教育期間を設け必要な施設や制度を設立する。企業や公的機関はこれに協力して義務教育期間の社員や公務員の給与を保証し、自営業者は行政が収入の補填をする。科目は基本的に学際的で総合学習的なものを中心とし技能取得ではなく教養を培うことを目標とする。講師も大学教授だけではなく広く優秀な人材を集める。講師を集めるために市民が自主的な組織を作り講師を集めることもよい。試験はコンピュータラーニングで自主的に行うこととしてあくまでも学習の進捗度の目安とするだけで卒業資格とはリンクさせない。ただ卒業までには一つ目標を立ててそれを実現することだけが課せられる。こんな風にしたらどうだろう。市民の学問への関心は高まり、それに促されて政治家やマスコミ関係者の学問知識も向上する。そして学者も専門分野という要塞に閉じ籠っていることはできなくなる。このようにして初めて、学問と政治並びに市民の間に好ましい協力体制が確立されるのではないだろうか。いずれにしろ、立法・行政・司法並びにマスコミ・言論界が協力し、全ての市民が英知を絞って、新しい教育の場の創設と、学問と政治と市民の新しい関係の構築が試みられることを切に希望したい。

(H20/1/20記)


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