井出薫
鳩山法相は死刑廃止に与しない、死刑執行に署名すると明言しているが、死刑制度が存続している国でも、韓国では金大中大統領の時代から死刑は執行されておらず、ロシアでも10年以上執行されていない。死刑廃止を巡っては色々な議論があるが、廃止が世界の趨勢であることは間違いない。 以前も述べたとおり筆者は死刑廃止の支持者だが難しい問題であることは理解している。 死刑の犯罪抑止効果はないというのが死刑廃止論者の見解であるが、社会状況や地域によって環境が変わるので断定はできない。ただ死刑廃止を期に凶悪犯罪が急増した例は見当たらず、社会秩序が保たれている国や地域では死刑の犯罪抑止効果はほとんどない、あったとしても極めて薄いと言ってよいだろう。 死刑の根拠として被害者やその家族の気持ちが挙げられることがある。死刑廃止を唱えると必ず「殺された者の気持ちを考えろ」、「遺族の身にもなってみろ」という非難の声が上がる。ところが、現在の日本では一人しか殺していないときには通常死刑になることはない。一方、被害者の遺族とすれば、殺された者が一人か複数かは大差なく、死刑を望む気持ちに変わりはないだろう。ところが一人だけの場合は死刑判決を望む遺族の願いは叶えられない。では一人殺害しただけでは死刑にしないという判例が間違っているのだろうか。一人と複数ではやはり違いは大きく、判例が間違っているとは言えない。つまり被害者やその家族の気持ちを死刑の根拠とすることはできないし、現実もそうなっていない。 さらに人間の遣ることであるから冤罪の可能性をゼロにできない。これらのことを総合的に考えれば死刑廃止が妥当な結論ということになるのではないだろうか。 路上で銃を乱射している者や人質を取って立て篭もっている者から市民の生命を守るために、他に適当な方法がないときには警察が犯人を射殺することは当然容認される。武器を所持した者に襲われ身を守るために相手を殺しても正当防衛になる。だが逮捕され行動の自由が制約されている者に死を与えるのは残酷な行為だ。おそらく今の日本ならば、死刑制度の支持者でも、処刑の公開や晒し首など野蛮な刑罰には反対するに違いない。つまり死刑制度支持者も死刑廃止論者のすぐそばまで来ている。死刑制度を支持する法相ですら死刑執行への署名を躊躇い、執行を待つ死刑囚が急増している事実が如実にそれを示している。他人に死を与えることを嫌悪する気持ちはみな非常に強いのだ。 いずれにしろ、早急に、死刑制度存続の是非、死刑執行の是非について国民の議論が深まることを期待したい。 |