☆ 憲法第9条と日本の進むべき道 ☆

井出薫

 改憲論者が指摘するとおり、憲法第9条と現実の間には矛盾がある。戦争放棄と戦力の不保持を明示している第9条と自衛隊並びに日米安全保障条約の存在は整合しない。

 しかし自衛隊の存在は、憲法第9条は自衛権まで放棄するものではないというのが通説であるから、専守防衛に徹し、海外派遣の禁止を現実的に担保できれば第9条と整合させることができなくはない。残念ながらイラク派遣という悪しき前例を作ってしまったために、自衛隊の違憲性は強まったが、適切な法整備を行うことで自衛隊の存在を容認することは現行憲法でも可能と考えてよい。

 だが、日米安保は第9条と矛盾する。日米安保により(異論はあるが)米国は日本を守る義務を有するが、米国が攻撃を受けても憲法の制約があり日本は何もできない。世界有数の経済大国という日本の国際的地位を考えると、安保ただ乗り論や米国の傘の下での一国平和主義という非難を免れない。

 日本のとるべき道は三つある。第9条を改正して自衛隊を明確に軍隊と規定して有事の際には海外へ自由に派遣できるようにする、憲法解釈を変更して集団的自衛権を認める、憲法の精神に従い日米安保を廃止する、この三つだ。勿論現状のまま有耶無耶にしておくという方法もあるが、それではいざというときに自衛隊も日米安保も全く機能しない恐れがある。空想に過ぎないかもしれないが、憲法で自衛隊の位置づけが全くなされていないため、権力者の恣意で自衛隊が自由自在に動かされ、親衛隊のような存在になる危険性だってある。

 安部首相の信念は最初の道だ。確かにこれは矛盾を解消するために最も単純明快な選択と言える。だが、これは日本人を戦争に巻き込む危険性を拡大するだけではないだろうか。それで日本の安全保障は万全になるのか、世界平和に貢献することになるのか、諸外国から歓迎されるのか、疑問ばかりが浮かぶ。

 解釈の変更は改憲を必要とせず簡単にできるが、十分な議論と国民的コンセンサスなしに解釈を変えることは、憲法の権威を蔑ろにすることを意味し、法治国家の根底を揺るがしかねない。

 多くの日本人は長期に亘り日米安保が存続してきたという事実から、安保を廃止するという政策を熟慮することなく暗黙のうちに非現実な選択だとみなす傾向が強い。だが、実はこれが一番賢明な策なのではないだろうか。安保解消は米国と敵対することを少しも意味しない。安保に代わり日米平和友好条約を締結して良好な関係を維持することができる。日本の領土から米軍は撤退することになるが、東アジア地域の平和は、関係諸国で協議し実現していく。必要があれば米国の一定の関与を認めても構わない。確かに利害が必ずしも一致しない諸国の協議には時間が掛かり厄介な外交交渉を必要とするが、これはけっして空想的な理念などではなく実現可能な政策だ。

 安部首相は新しい日本を作り出すと豪語しているが、首相が遣ろうとしていることは自民党結党以来の党是である自主憲法制定に過ぎない。しかもそれはもはや時代遅れの産物で、共産党でマルクス・レーニン主義の原則を堅持せよと主張するに等しい。日米安保の廃止、米軍の撤退、近隣諸国との協議による非武装地域の創設、これを目指し実現することこそ、日本に暮らすすべての人が誇りを持てる日本を築く最良の方策のはずだ。

(H19/8/9記)


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