☆ 時代の変化に敏感に ☆

井出薫

 「刑事コロンボ」をDVDで鑑賞していたら、市外通話をオペレータ経由で繋ぐ場面が出てきた。さらに電話を使ったトリックが鍵を握る作品が幾つかあるが、いずれも携帯電話が普及した現在では通用しないものばかりだ。「刑事コロンボ」の面白さは色褪せることなく、今観ても楽しめる傑作ドラマであることは間違いないが、時代が変わり古くなったことは否めない。

 小田実氏が7月末に亡くなった。新聞はかなり大々的に取り上げていたが、世間一般の関心は薄く、こちらも時代の変化を痛感させた。依然として世界は平和と言うにはほど遠いが、ベトナム反戦や社会主義的傾向の強い市民運動や労働運動は過去のものとなった。

 筆者は(30年以上前のことだが)学生時代理論物理学に傾倒して素粒子論と宇宙論の研究者になることを夢見た時期があった。残念ながら頭が悪くとうてい成果をあげることはできないと悟り断念したが今でもこの分野には興味を持ち続けている。近年、宇宙はビックバンで誕生し、年齢は137億年、限りなく平坦に近く(ユークリッド幾何学が成立するような宇宙空間)、インフレーション期を経て膨張を続け、今もまたインフレーション期にあることなどで研究者の意見が一致している。ビックバン理論が様々な矛盾を抱えホイルの定常宇宙論などが有力な対抗理論だった筆者の学生時代とは隔世の感がある。素粒子論でも超弦理論とM理論がすべてを説明する究極理論として提唱され多くの支持を集めているが、筆者の学生時代はクォーク理論が漸く姿を現した時期で、こちらも時代の変化を強烈に印象付けている。

 良くも悪くも時代は変わる。資本主義社会では特に変化が加速する。変化は資本主義存続の必須条件となっているからだ。この現実をいくら観念的に否定しても何もできない。思想は影響力を持つし、その力は人々が思っている以上のものがあるが、思想だけで現実を変えることはできない。

 先日の参院選は、自民・民主の二大政党化へ流れを強く印象付けた。公明党、共産党、社民党は独自性を強調しているが、いまのままでは二大政党の狭間に埋没していくしかない。公明党は創価学会、共産党は科学的社会主義=マルクス主義、社民党は社会民主主義(科学的社会主義と異なりその内容は曖昧だが)に固執して、時代の変化が読みきれていない。これでは行末は暗い。

 たとえ、それに対して批判的なスタンスを取るにしても、政府、政党、企業、マスコミ、そして国民一人一人が時代と環境の変化に敏感でなければ、先進国や中国など急激な経済発展を遂げている国を中心とした繁栄の陰で、急激に進行する環境破壊や貧富の拡大、人間のモノ化など人類の死命を制する重大事に適切な対処をとることはできない。目先の利益や利便性に惑わされることなく、時代の流れを読む力を身に付ける必要があることを肝に銘じておきたい。

(H19/8/5記)


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