☆ 宮本元共産党議長の死 ☆

井出薫

 宮本顕治元日本共産党議長が7月18日お亡くなりになった。享年98歳。ご冥福をお祈りする。

 60年代から70年代にかけて日本共産党は全盛期を迎えていた。美濃部東京都知事など、大都市を中心にして旧社会党と共産党が推薦する知事が当選して全国に革新自治体が広がった。中選挙区制の影響もあったが、衆参とも都市部では共産党議員がトップ当選することが珍しくなかった。当時書記局長だった不破哲三氏など衆院東京地方区でダントツの一位だったと記憶している。

 日本共産党の黄金期を築いたのが宮本氏だった。複数政党制を認め、一党独裁のソ連や中国など他国の共産党政権を遠慮なく批判して、共産党の支持を拡げることに成功した。

 だが、その一方で、宮本氏は、党幹部が党の理念と運動方針をすべて決定するというスターリン型共産党の(民主集中制と呼ばれる)党運営を改めることはなかった。その結果、日本共産党は、外面は柔軟路線でも、その内部では独裁的な体質を残したままになり、他政党や市民運動などとの協力は進まず、国民の支持の広がりも限られたものに留まった。そして、高度成長が終わりを告げ、国民の目が理想よりも現実に向うようになると、共産党の支持率は都市部でも急速に下落することになる。そこにソ連・東欧の共産党政権崩壊が追い討ちを掛けた。いくらソ連・東欧の共産党と日本共産党は違うと言い張っても、民主集中制という独裁的な体質を共有している以上、その言葉は説得力に欠け、国民の支持を繋ぎとめることができなかった。

 宮本氏は、マルクスと、日本のマルクス主義思想の最高峰野呂栄太郎をこよなく愛し尊敬していた。複数政党制を支持しても、ソ連や中国と一線を画する戦略を展開しても、宮本氏が頑固一徹なマルクス主義思想家であったことに変わりはない。マルクスや野呂が民主集中制を提唱したわけではない。ローザ・ルクセンブルグのように共産党幹部の指導ではなく大衆の自発的な革命運動の高揚に期待するマルクス主義思想家もいた(ただしローザはレーニンにより直ちに批判される)。だが、マルクスの思想には、共産主義革命には(前衛党である)共産党による労働者大衆の指導が不可欠だというレーニン的テーゼが色濃く存在する。そして、共産党と労働者の関係は、共産党内の党幹部と一般党員との間にも適用され、それが民主集中制の正当性の根拠となる。マルクス主義者宮本もまたそれを継承して民主集中制を堅持することになる。

 だが、高等教育が国民に浸透するとともに、マスメディアが普及し、政治家・官僚・企業経営者と一般大衆の知的水準にほとんど差がなくなった現在、民主集中制は時代遅れの産物でしかない。マルクスの「資本論」によれば、資本主義的生産様式が存続するためには、労働者大衆が、資本家による搾取体制を自然法則のようなものであり、止むを得ないと信じることが不可欠であるということになるが、現代の労働者大衆はそんなに愚かではない。政権政党、官僚、企業経営者の権力は今でも強大だが、ある程度大衆に迎合しないとその権力を維持することはできなくなっている。

 10年前に病気で宮本氏が第一線から退き、日本共産党の体質も変わりつつある。かつて厚いカーテンに覆われていた党大会の様子がインターネットで配信されるようになった。現在のトップである志井氏は筆者と同年52歳でマルクス主義者ではあるが、宮本氏のようなマルクスの言葉を一言一句真理だと考えるような教条的なマルクス主義者ではない。自民党と民主党の差は小さく、今後、憲法改正問題や格差是正、環境問題などで共産党の独自性とその存在意義を示す機会は確実に増えてくる。宮本氏の冥福を祈ると共に、党名変更を含めた日本共産党のより一層の改革を期待したい。

(H19/7/22記)


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