☆ 原爆投下は正当性されない ☆

井出薫

 参院選前に飛び出した久間防衛相の原爆投下正当化発言が物議を醸している。選挙前ということもあってか翌日早々に発言を撤回したが、暫く尾を引くだろう。

 報じられている発言の中身を見る限りでは、久間防衛相の日頃考えていることが、つい口を滑って出てしまったという感じだ。原爆投下がなければ日本は8月15日に降伏せずソ連の進攻が進み、結果的にドイツと同様に南北分断されていたかもしれない。これが久間氏の日頃の思いなのだろう。確かに同じような考えを持つ人は日本の中にも少なくはない。久間氏はこれまでも米軍基地移転問題やイラク戦争で米国に批判的な発言をして米国との関係に波風を立てその都度釈明している。おそらく正直な人なのだろう。野党は一斉に非難の声を上げ、一部では罷免要求まで飛び出したが、果たして罷免に相当する発言かどうかは疑わしい。久間氏は原爆投下が正当だったという倫理的な評価を下したわけではない。ただ事実関係としては、原爆投下は戦後の日本の歴史を顧みたとき、寧ろトータルではプラスに働いたのではないか、そう言っているだけだ。防衛相としての立場に相応しくない、政府見解と異なるとの声もあるが、日米関係を何よりも大切にする現在の日本政府の姿勢からすれば、米国の原爆投下が結果的にではあるが寧ろ日本にとってプラスだったという久間氏の発言は、日本政府の基本的な方針に反するものではない。安部首相が防衛相の発言を黙認する姿勢を示したのも当然だろう。

 だが、原爆投下という歴史的な出来事に対して、私たちがいま何よりも真剣に考えなければならないのは、核兵器という超大量破壊兵器の使用が倫理的な観点から容認される余地があるのかどうかということだ。そして米国の広島と長崎への原爆投下もこの観点から評価しなくてはならない。

 戦争になれば常識は通用せず何でもありの状況になるという類の議論をする人がいるが、それは間違っている。戦争にもルールがある。民間人に害を与えない、敵兵でも降伏した者には人道的な処遇をする、宣戦布告なしに攻撃をしない、殺傷や破壊は最低限に留める、こういう戦争のルールがある。このようなルールに反した行為は、戦争の勝ち負けに関係なく正当化されない。

 戦前の日本軍の行動はこれらのルールを至るところで破っており、敗戦後、諸外国から強い非難を浴び政府や軍の中枢に位置していた者たちに厳しい罰が与えられたのは当然の結果と認めなくてはならない。東京裁判が勝者による敗者の裁きであったこと、広田弘毅のように文民でしかも戦争に反対した者まで処刑されたことなど、裁判の手続きや判決内容に問題があったのは事実だとしても、そのことを以って戦前の日本を免罪しようとするのは間違っている。

 だが同様に、戦前の日本が過ちを犯したからと言って、米国の遣ったことはすべて正しかったということにはならない。広島、長崎への原爆投下が正当化されうる行為であったかどうかは当然問われなくてはならない。

 結論ははっきりしていると思える。たとえ、米国の原爆投下が戦争の早期終結をもたらし、日本の南北分断を回避することに役立ったというのが事実だったとしても、原爆を投下すれば膨大な数の民間人が死傷することが明白であったことから容認することはできない。戦争の早期終結も南北分断の回避も結果論で、原爆投下決定の時点では不確かな予測に過ぎなかった。原爆投下にも拘わらず日本が戦闘継続する可能性はあったし、ましてや戦後の日本の体制については確実な予測などできるはずもなかった。一方、原爆を投下すれば民間人に膨大な死傷者が発生することは初めから明白だった。だから両者を比較考量すれば米国の原爆投下を正当化する議論は存在しないと言わなくてはならない。それは東京裁判の手続き上の不備を以って戦前の日本の行為を正当化できないのと同じことだ。

 現在と未来の日本に大きな影響力を有する国会議員、それも閣僚ならば、原爆投下の倫理的な評価こそを考えなくてはならない。外交的な駆け引きの問題を語るつもりだったなどと久間氏は逃げを打っているが、日本が戦争をしない国であり続ける限りは、広島と長崎への原爆投下を外交戦略的な観点から考察する必要はない。そんなことをしたところで、日本と世界の未来に役立つ知恵を引き出すことにはならない。

 久間氏に限らず、他の政治家にも、マスコミにも、そして広く国民にも、事実関係・因果関係の確認と倫理的な評価とを混同する傾向が見受けられる。しかし、私たちが未来を構想するために過去を振り返るとき、最も重要なことは、事実関係・因果関係の詳細な確認ではなく、問題となっている出来事が現代的な観点から倫理的に正当化されうるかどうかということなのだ。−そもそも事実や因果関係自体が倫理的な判断に依存する。−たとえば従軍慰安婦問題でも明白な強制があったかどうかは(当時の日本と朝鮮や中国の力関係を考慮すれば)瑣末な問題に過ぎず、現代に生きる者としてそれが倫理的に容認できないということこそが問題となる。原爆投下という出来事を評価するときにも、そのことは少しも変わらない。私たち日本人は、原爆投下が倫理的に容認できないことを再確認し、友好国である米国に対してもそれを訴えていくことが求められている。

(H19/7/2記)


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