☆ 国民に責任はないのか ☆

井出薫

 年金問題で政界が揺れ動いている。社会保険庁の責任はもちろん重大だし、その杜撰な管理を看過してきた政治家の責任も重い。選挙目当てに成算もないのに1年間で年金記録の見直しを完了するなどといい加減な約束手形を切ろうとしている政治家の姿は見苦しいの一言に尽きる。だが国民に責任はないのだろうか。

 政治家や官僚を信用するかと尋ねると、ほとんどの人は信用しないと答える。この傾向はほぼ半世紀前、筆者の子供時代から変わらない。だったら、なぜ官僚や政治家が遣ることを常日頃から監視して問題があれば指摘して善処を求めないのか。自ら活動する時間的な余裕がなくとも、選挙で投票した政治家や政党の活動家を通して監視の目を光らせることができるはずだ。さらに日本は世界にも類を見ない「記者」の肩書きを持った人間が多い国だ。マスメディアを通じて国会や行政を監視し、不審な点があれば指摘することもできる。

 だが、ほとんどの国民は国会や行政への関心が薄い。自分が困るか、マスコミが騒ぎ出してから初めて、政治家や官僚の失策や不正を糾弾し、一方で官僚と政治家を悪者にして自分達は専ら被害者面を決め込む。だが一般国民にも国会や行政を監視する義務があることを忘れてはいけない。政治家を選出したのは国民だ。そして国会が決めた法に従い官僚は動く(少なくとも建前上は)。

 社会保険庁の管理や資金運用の杜撰さは夙に指摘されてきた。国民は、なぜもっと早くしっかりした運営体制を築くように強く要求しなかったのか反省する必要がある。日本は仮にも民主的な国家で、国民が社会保険庁の実態を把握して、それを正す機会と手段はあったはずだ。

 ところが日頃から国会や行政に関心を持って行動しているのは共産党の活動家や支持者など一部の者に限られている。あいも変わらず多くの国民は共産党を毛嫌いしているが、それが共産党の硬直した体制と独善的な思想に起因しているとは言え、そういう行動は見習うべきだ。さもないと行政の不祥事は尽きることがない。

 国家が国民に自己責任を強要することには反対だが、日本に限らず政治家や官僚が信頼できないことは常識なのだから、国民一人一人が自己責任で、国会や行政さらには司法を常日頃から監視し、国民の生活を守るために行動することが不可欠なのだ。被害に遭われた方は誠にお気の毒だが、困ってから初めて被害者だと騒ぐだけでは、お上のお慈悲で生かされている存在でしかなく、民主的な社会の責任ある一員とは言えない。そのことを、自戒を込めて肝に銘じておきたい。

(H19/6/10記)


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