☆ 裁判員制度 ☆

井出薫

 裁判員制度が平成21年5月から導入される。司法判断に市民感覚を取り入れることができるなどのメリットが宣伝されているが、世論調査をみると裁判員になることに消極的な者が多数を占める。

 それはそうだろう。どんな犯罪者だろうと、えんもゆかりもなく恨みもない人物に死刑や無期懲役を宣告するのは気が重い。かと言って軽い量刑を支持すると被害者やその家族に申し訳ない気がする。真面目な人ほど強い精神的ストレスに悩まされることになるだろう。

 そもそも、死刑と無期懲役とどちらが妥当か、誰が自信をもって判断できるだろうか。専門家である裁判官ならば法律や判例などの豊富な知識に加えて過去の経験がある。たとえ専門の裁判官でも量刑は恣意的なものになることは避けえないとしても、自分の判断の正当性を明確に説明することはできる。だが素人では何故死刑で無期懲役ではないのかと問われてもとうてい説明はできない。さらに心神喪失を認めるべきかどうかなどという微妙な判断は素人では全く歯が立たないだろう。

 これほど重要な制度改革が十分な国民的議論がなされないままに導入されたことも気に掛かる。平成16年5月に制定された裁判員制度に関わる法律をどれだけの国民が事前に理解していただろう。おそらくごく一部の者だけだ。そして、今なお裁判員制度の導入の必要性について国民的な合意が形成されているとは言い難い。

 司法は法が遵守され人権が守られるために不可欠な極めて重要なシステムで、国民が関与することは原則論的には好ましいことだ。だがそれは抽象的な理論上の話しで、現実問題として本当に適切な制度かどうかは別だ。裁判員制度開始までにはまだ2年の猶予がある。決まったことだから何が何でも予定通り実施するではなく、いま一度国民の疑念や不安の声に謙虚に耳を傾け、裁判員制度の導入の是非、導入する場合の問題点の整理と対策を洗いなおす必要がある。拙速を避け国民の合意形成のために導入時期を延期することも選択肢の一つであることを忘れないでもらいたい。

(H19/5/23記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.