井出薫
誰だが忘れたが、将棋のプロ棋士が「勝負師は勝ちたいという気持ちよりも、負けたくないという気持ちが強い」と言っていたのを思い出した。 優勝を目の前にした中日、レギュラーシーズン1位の座を巡ってデッドヒートを続けるパリーグの上位3チーム、いずれも、勝ちたいという気持ちよりも負けたくないという気持ちが強くなっているようにみえる。 勝ちたいというのと負けたくないというのは似て非なるものだ。勝ちたいという気持ちは前へ前へと攻撃的に出ることを意味する。負けたくないという気持ちはまず守りを固めようという姿勢を生み出す。どちらがよいかはときと場合による。負けたくないという気持ちは消極的で悪いという感じがするかもしれないが、そんなことはない。勝ちたいという気持ちは焦りに繋がることが多く苦境に陥ったときに簡単に折れてしまうことが少なくないが、負けたくないという気持ちは苦境に陥ったときにじっと辛抱することができる。孤独な戦いである将棋や囲碁などの世界では、勝ちたいという気持ちよりも、負けたくないと気持ちの方が勝つ確率を高くするように思われる。 共に昭和の大天才と称された大山康晴と升田幸三は、守り将棋と攻め将棋という違いはあったが、その実力には紙一重の差もなかった、いや実力的には升田が上だったと言う人が少なくない。だがタイトル獲得数など勝率は圧倒的に大山の方が上だった。大山の将棋は負けなくないという気持ちが全面に出た将棋だった。その分、その将棋は面白くないと言われた。その一方で、升田は、新手一生を標榜して勝負の鬼と言われるのを嫌い将棋の鬼だと称していた。次々と打ち出される独創的な新手とその豪快な攻め将棋は筆者のような縁台将棋のレベルから上級者まで多くの将棋ファンを熱狂させた。人気では断然升田が上だった。だが勝負の女神が微笑むのは升田ではなく大山だった。負けたくない、この気持ちこそ将棋で勝負の鬼となるに相応しいものなのだろう。 しかし、チームスポーツである野球は逆だと思う。負けたくないという気持ちは、選手だけではなく監督コーチも含めてチーム全体に自信喪失と他人への依頼心を生み出し、「負けたくない」は消極的で萎縮した気持ち「負けられない」へと容易に変貌してしまう。野球では負けたくないではなく、勝ちたいという気持ちを常に持ち続けなくてはならない。 中日は9月24日現在阪神に3ゲーム差まで迫られているが、これは逃げ切れるだろう。残り試合も多くまだ余裕はある。優勝を目指して勝ちたいという気持ちが全面に出てくる日が来る。しかしパリーグの3チームにはそんな余裕はない。最後に笑うことができるのがどこになるか、ソフトバンクがやや不利とは言え、まだ何とも言えない。だが、負けられないではなく、勝ちたいという気持ちを持つことが出来るチームに勝負の女神は微笑む。だが、言うは易しい、勝負は厳しい。健闘を祈る。 |