☆ コンピュータの原理を勉強しよう ☆

井出薫

 シンドラー社のエレベータが以前プログラムのミスが原因で何度か事故を起こしていたと報じられている。同社は、今回の死亡事故とは無関係だと説明しているが、感情のないプログラムで制御されている機械の恐ろしさを思い知らされる出来事だ。

 エレベータの制御に限らず、現代社会ではいたるところにコンピュータが浸透して、あらゆるものがコンピュータ制御されている。コンピュータがトラブルを起こすと、電車の運転は不可能になり、航空機の離発着もままならなくなる。銀行から預金を引き出すことも、クレジットカードを使うこともできない。幸か不幸か、世界中のコンピュータのほとんどは独立して動いているから、一斉にコンピュータが故障するということはない。しかし、インターネットの普及で、コンピュータの相互結合は強まっている。情報漏洩の頻発やウィルス・スパイウエアの蔓延などは、その象徴だと言えよう。

 ところがこれだけコンピュータが普及しているにも拘わらず、人々はコンピュータのことを恐ろしいくらい知らない。20世紀初め、マックス・ウェーバーは「現代人の合理主義とは、世界は合理的に動いているはずだという信仰に過ぎない」と警告したが、ウェーバーが亡くなってから86年も経つのに、状況はほとんど変わっていない。いや寧ろその間の科学技術の目覚しい進歩とその普及は、益々人々の合理主義を盲目的なものと化している。

 「コンピュータはどうやって動いているのか」、「CPU、メモリー、ハードディスク、入出力装置、これらはどのように連携をとって動作しているのか」こういう質問をされて、まともに答えられる人は10人に1人もいないだろう。現代の日本社会に多大な影響を持つ閣僚の皆様に、こういう質問をしたときに答えられる人はどれだけいるだろう。たぶん数人しかいないだろう。

 もちろん、こういう質問に答えられないからといって閣僚の資質が問われることはない。知らないからといって、誰も恥じることはない。科学技術と産業が進歩すれば、私たちの身のまわりは、それがどのように動いているか分からないものだらけになるのは当然のなりゆきだ。いくら教育課程を充実させても、書籍やネットや社会人向け教室で知識を提供しても、人の脳に収まる情報量は限られている。いまの時代、どんな天才でも、どんな博識な人でも、知っていることより知らないことの方が遥かに多い。斯く言う筆者も、ときたま上の質問には何とか答えられるが、身の周りにある機械がどのように動いているのか、ほとんど知らない。

 だが、コンピュータ制御がこれだけ普及してくると、やはり可能な限りすべての人が、ある程度はコンピュータの動作原理やOSの働き、プログラムの理論などについて知識を有することが望まれる。さもないと、100年後には、一握りのコンピュータの専門家と人間を凌ぐ学習能力を持つ自律型コンピュータに、人間は家畜のように支配されている、という悪夢が現実化するかもしれない。「経済学を勉強する目的は経済学者に騙されないためだ」とケインズの弟子ロビンソンは言っていたそうだが、コンピュータに支配されないためには、コンピュータの動作原理を勉強しておく必要がある。コンピュータは、他の機械と違い、人間を支配する力を持ちうることを軽視してはならない。

 近年の学校の教育課程では、小さい頃からコンピュータに関する学習が進められているらしいが、子供たちに質問しても、コンピュータの基礎を理解しているとは思えない。それは大人たちがコンピュータに無知だからだろう。親に質問しても親が全く答えられないというのでは、子供も知識が身に付かない。

 コンピュータ全般を理解することは易しいとは言えない。特にプログラムの原理を完全に理解するにはかなり高度な数学の知識が必要となる。しかし、先に質問したCPU・メモリ・ハードディスク・入出力装置の連携やOSの役割を理解することは誰でもその気になればできる。ワードやエクセル、インターネットエクスプローラーやアウトルックなどを一通り使いこなせるようになったら、是非コンピュータの原理についても勉強してもらいたい。コンピュータ社会で人々が安心して便利で豊かな暮らしを享受するためには、みながコンピュータの原理の初歩くらいは知っていることが不可欠だ。

(H18/6/18記)


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