☆ 格差拡大 ☆

井出薫

 ADSLは、同じ料金でもユーザによって速度がまちまちで、その意味では不公平なサービスと言わなくてはならない。しかし大部分のユーザは満足している。それはアナログモデムやINSに較べてずっと高速で料金も安いからだ。格差があっても必ずしも評判が悪いとは限らない。そこで、ADSLの速度格差のような格差を相対的格差と呼ぶことにしよう。

 だが、もしもADSLが、ユーザによってはアナログモデムよりも品質が悪く、ADSL登場とともにアナログモデムやINSが使用不可能になってしまったとしたら、多くのユーザは不公平だと非難するだろう。平均的には、高速化して、料金が低廉化したとしても、最低条件がいままでよりも悪化したら、人々はそれを公正なものだとは考えない。このような格差は前者と異なり絶対的格差と呼ぶのが相応しい。

 格差拡大が、社会問題としてマスコミや言論界で盛んに取り上げられ、国会でも大きな争点となっている。その評価は今秋に予定される自民党の総裁選にも影響を与えることになるだろう。

 マスコミや言論界からの批判に対して、小泉首相や竹中総務相は、格差は必ずしも悪いことではないと反論している。だが本当にそうなのだろうか。

 ここで問題とすべきことは、小泉政権下の格差拡大が、絶対的格差の拡大なのか、相対的格差の拡大なのかということだ。相対的格差の拡大であれば、必ずしも悪いことではない。ADSLがユーザによって伝送速度に格差が生じてしまうからと言って、プロバイダが導入を見合わせたら−ADSLの初期にはNTTグループや(当時の)KDDがそうだった−、それは却ってユーザの利益に反する。それに、ADSLの速度格差はメタリックケーブルの伝送技術の発展を促した。ときとして、格差は技術の発展に不可欠の要件でもある。

 では小泉政権下の格差拡大は相対的格差の拡大に過ぎないと言えるのだろうか。この答えは難しい。所得の減少は必ずしも生活水準の悪化を意味しない。福祉の向上や物価の安定が所得の低下を補って余りある場合もある。だから単純な数値比較では結論は出ない。だが教育現場と関わりを持つ友人の話しを聞くと、絶対的格差が確実に広がっているのが実情のようだ。それに相対的格差が環境変化で絶対的格差になることもある。生活に不可欠な情報がインターネットでしか得ることができなくなれば、ADSLの速度格差は絶対的格差になる。市場原理を過大評価して利潤追求ばかりに人々の目が向くようになると、社会発展の原動力だった相対的格差は絶対的格差に変貌する。そして、現在の日本はそういう危険な状態に向かいつつあるようにも思える。

 いずれにしても、格差拡大をどのように評価するかという課題は、格差の本質を明らかにしない限り解決することはできない。マスコミや言論界はそのことを肝に銘じて、慎重に事態を吟味して説得力のある議論を展開してもらいたい。

(H18/6/10記)


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