☆ 作られる病気 ☆

井出薫

 最近「社会不安障害」という言葉をよく耳にする。一昔前までは「対人恐怖症」と呼ばれていた病?を今はこう呼ぶらしい。あがってしまい人前でうまく話しができない、初めの人と会うのが苦手だという人は少なくない。だが、こういう症状を放置すると社会不安障害に陥り社会生活に著しい支障を来たすことがあると言われ、近年患者が急増していると指摘されている。だが社会不安障害は本当に増えているのだろうか。

 私も子供の頃から人前で緊張して上手く話しができなかったり、人前で失敗をしでかすのではないかと不安になったりして、人との交わりに支障を来たすことが少なくなかった。8年ほど前にパニック障害とうつ病を患って以来、この傾向がさらに強まったという感じがする。専門家の目から見れば今の私も軽度の社会不安障害に該当するのかもしれない。

 しかし、このような症状で困っている人は昔からたくさんいたと思う。小学校や中学校の頃、クラスに2人か3人くらいは、他の生徒や先生の前で、本を読んだり、歌ったりすることがとても苦手な子がいたと記憶している。でも子供達も先生も、そして本人も家族も、それを病気だ、病気の前兆だなどとは考えてはいなかった。人前で何かしなくてはならないとき、そういう子供達は、それは大変な苦痛だったろうと思うが、苦痛は一時的なもので、何も気に病むほどのことはなかったし、実際それで酷く苦しんでいたということもなかったと思う。周囲も、そういう子供に無理に人前で何かをさせようとはしなかった。人見知りをする、人前で緊張しておどおどしてしまう、顔が真っ赤になってしまう、こういうことはその子の性格、けっして矯正する必要もなければ、恥じることもない子供の性格だと考えていた。そういう子供を苛める子もいたが、先生は苛めっ子を厳しく戒めたし、叱られた子供は自分が悪かったと反省した。社会不安は病気などではなく個性に過ぎなかった。

 だが時代が変わり、人々は、積極的に人前に出て、自分の意見を堂々と述べることができなくてはならないという強迫観念に支配されるようになった。それは何も児童の世界の話しだけではなく社会人にも共通する。以前は、人前で話をすることが苦手な人や初めての人と気さくに話しをすることができない人、そういう人にはその人に相応しい職場や仕事があり、そこで自分の力を発揮することができた。だが今ではほとんどどの職場でも、上手に自己PRをして、クライアントの前で弁舌爽やかにプレゼンテーションすることが要求されるようになり、そういうことが上手くできないと競争社会で生き残ることはできないと脅かされる。

 その結果、元々は病気でも何でもなかったものが病気とされるようになった。そして、気の弱い人や人と競争することが苦手で自己PRの下手な人は、自分は病気で競争社会から脱落してしまうのではないかと恐れを抱くようになり、病気ではなく単なる性格に過ぎなかったものが本格的な病気となってしまうことが増えた。これが「社会不安障害が増えている」ということの現実なのではないだろうか。病気はそこに初めからあったのではなく、社会が作り出してしまったのだ。

 さらに、現代の代表的な抗鬱薬であるSSRIが、社会不安障害に効果があるという専門家の意見が益々それに拍車を掛けている。SSRIはそれまでの抗鬱薬よりも副作用が少なく服用しやすいために、本当に鬱病なのかどうか怪しい境界事例でも使用されており、爆発的な売れ行きを示している。アメリカでは風邪薬の次に販売量が多いと言われ、SSRIは製薬会社のドル箱の一つになっている。そのSSRIが社会不安障害に効果があると言われれば、医師も気軽にそれを患者に処方するようになり、患者もそれを抵抗なく受け入れることになる。製薬会社はもちろんSSRIの効用を積極的に宣伝する。こうして社会不安障害と認定される患者が増えて(製薬会社の利益が増加して)いくことになる。

 だが、SSRIは全く副作用がないわけではない。確率はごく小さいとは言え体質が合わないとセロトニン症候群という重篤な副作用を生じて死亡することもある。SSRIは(特に未成年で)自殺を増加させると指摘する専門家や疫学的な調査結果も次々と発表されている。どのような薬でも副作用はありSSRIも例外ではない。安易に社会不安障害の診断を下してSSRIを処方することには危険が伴う。

 「社会不安障害」という疾患の存在を否定するつもりはない。普通に社会生活するために薬の服用が不可欠という人も当然いるだろう。だが現代社会の風潮が、余りにも安易に病の概念を拡大して、必要以上に人を社会不安障害と診断して薬を濫用することに繋がってはいないだろうか。

 人にはそれぞれ個性があり、雄弁な人もいれば寡黙な人や引っ込み思案な人もいる。楽観的な人もいれば悲観的な人もいる。それが人間社会なのであり、そのような多様な性格の人が共存している社会こそが安定した社会だということを思い出すことが大切だろう。豊かな自然が多様な生物種を育むように、豊かな社会は様々な性格の持ち主を許容して互いに平和を保って繁栄していく。日本人がすべて堀江ライブドア元社長のようなキャラクターの人物ばかりだったらどうなるか、想像してみるとよい。混乱した社会になることは必定だろう。ドラマの水戸黄門のような聖人君子ばかりでも詰まらない停滞した社会になると思う。私たちに求められているものは、もっと余裕を持って、自分と他人を温かい目で見つめることができる広い心だ。それだけで多くの社会不安障害は解消されてしまうのではないだろうか。

(H18/4/4記)


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