井出薫
東京が夏季オリンピックの候補地に名乗りを上げようとしている。トリノの不振?に業を煮やしたのか冬のオリンピックにも名乗りを上げようという動きもある。 42年前の東京オリンピックの感激は忘れらない。日本はもはや発展途上国ではない、未来には大きな夢が開かれている。子供心にもそう感じた。オリンピックは日本人に勇気と希望を与えた。だから夢よもう一度と言うのだろうが、それは少し違う。観戦ツアーが簡単に出来るようになり、日本にいてもワイドビジョンのテレビで臨場感溢れる映像を視聴することが出来、インターネットでも自由に試合観戦ができる現在、何も日本で開催されなくても、私たちは大いにオリンピックを楽しむことができる。日本で開催する必要はない。 今の日本でオリンピックを開催しても単なる人を呼べる一大イベントにしかならない。商業主義にどっぷりと浸り、多くの人々からそのあり方に疑問を投げ掛けられているオリンピックを繰り返すだけだ。あの感激を知る者のひとりとして、オリンピックは先進国ではなく、貧困や戦乱から脱却して平和で豊かな社会を築こうと奮闘している発展途上国でこそ開催されるべきだと考える。オリンピックが開催されれば、発展途上国の人々に大きな力と未来への希望を与えることができる。42年前の日本がそうだったように。 発展途上国、特に小国では単独で開催することは経済力からも技術力からも困難だろう。だが、複数の国で共同開催して、先進国が資金援助と技術協力をすれば開催は十分に可能だ。金メダルの数を増やすことだけを目的としたような競技種目の細分化を止めて−柔道やボクシング、レスリングなどあれだけ細かくクラス分けする必要があるのだろうか?−、競技数も少なくすれば費用を削減することができ発展途上国の負担も小さくてすみ、その一方で社会的なインフラが整備され治安も良くなるだろう。オリンピックの種目から漏れた競技のためには別の場所を与えればよい。何もスポーツを楽しむ場所はオリンピックだけではない。なんなら、春のオリンピック、秋のオリンピックという催しを新設してもよいだろう。 オリンピックの目的は、金メダルの数を争うことではない。もちろんテレビ局や旅行会社や建築会社が儲けることでもない。世界の人々に希望と勇気を与えることにその真の目的がある。いま、オリンピックを必要としているのは日本ではなく発展途上国だ。日本の都市が立候補するのではなく、発展途上国にノウハウと資金を提供してオリンピックが開催できるように協力すること、これこそが平和な世界を求める日本の進むべき道と言えよう。 |