☆ 私たちの使命 ☆

井出薫

 アイドルタレントが九州を列車で一周して自分探しの旅をするという物語のDVDを観ていたら、鹿児島県の加世田市平和祈念館という場所が画面に現れた。神風特攻隊員が飛び立っていた基地があった場所で、今は当時の記録を残す様々な資料が展示されている。特攻隊員として死んでいった者の中には若干17歳の少年もいたという。基地で働いていた当時16歳だった女性の特攻隊員との交流が語られる。彼女は、当時21歳の特攻隊員のために一生懸命マスコット人形を作ってあげた。そして、隊員は出撃の前日真新しい写真に感謝の気持ちを記した手紙を彼女に渡す。「マスコット有難う。このマスコットと共に必沈の意気益々旺盛なり。母上様によろしく。」彼女は一晩中泣き明かしたと言う。

 若くして死んでいったこの純真な若者の心情を思うと目頭が熱くなる。それと同時に無限の可能性を持っていた若者を死地に追いやり、我が子の無事を心から祈っていた家族や周囲の者を悲しみのどん底に陥れた当時の政府と軍指導部の暴挙に怒りが湧き上がってくる。

 若者を死に追いやっただけではなく、敗北が必至の戦争をだらだらと長引かせ、沖縄戦、広島・長崎の原爆、大空襲で、兵士のみならず、膨大な数の民間人の尊い命を彼らは奪った。原爆などという非人道的な兵器を使用した米国にも多いに人道的責任があるが、米国に原爆使用を決意させたのは、神風特攻隊などという暴挙を実行した政府・軍部にも原因があるのではないか。

 次期総理と目されている政治家は日本の首相が靖国神社を参拝するのは当然だ、などと言う。だが、靖国に祀られているA級戦犯が、その無謀かつ無能かつ自分勝手な政策で膨大な数の国民の命を奪った責任は極めて重大だ。A級戦犯として処刑された者の中には、戦争に反対したにも拘わらず処刑された広田弘毅のように冤罪と言わなくてはならない人物もいる。だが、他の軍関係者は中国や韓国など近隣諸国だけではなく日本国民にとっても極刑が当然の犯罪者だったと言わなくてはならない。彼らが祀られている靖国神社を当然のことのように首相が参拝するのは、中国や韓国に非難されるまでもなく、日本人として戦争へのケジメの付け方が間違っていると言わねばならないのではないか。靖国参拝を制度化しようとする政治家諸君には再考を強く促したい。

 だが、愚かしいのは政治家だけではない。筆者は学生時代、特攻隊で死んでいった者のことを「国に騙されて無駄死にした愚かな者たち」などと実に無礼で人の心情を理解しないばかなことをほざいていた。だが、今は自分の傲慢と愚かさを痛感している。「抑圧された人民のために」、「共産主義実現は歴史の必然」などと偉そうな能書きを並べて、その裏では、俗物根性丸出しで「どこの企業が給料がよいか、福利厚生が充実しているか」などということをちゃっかり調べていたのだ。当時そういうプチブル的打算で生きていた者は筆者だけではなくたくさんいたと思う。そして、そういう者が今の日本の中心に座している。

 特攻隊員の行為そのものは国を救うものではなかった。だが彼らに他にどのような生き方があっただろう。疑問を感じた者も少なくないだろう。だが、たとえ体当たり攻撃は無意味だと悟ったとしても、自分が脱走したり上層部に逆らったりしていたらどうなっていただろう。自分の友人が自分の代わりに出撃して死ぬのだ。家族も、脱走兵、命令に背いた者の家族として非国民と呼ばれ辛い思いをすることになる。彼らは自ら死を選ぶことで家族を、友を懸命に守ったのだ。彼らの行為は決して無駄ではなかった。彼らの行為は、人としての生き方と平和の大切さを私たちに教えている。翻って現在の日本人は何をしている。「まあ俺達が死ぬことはない」と考えて、安易にアメリカの尻馬に乗ってイラク戦争を支持し、アメリカの期待するように自衛隊を自由に動かせないと言って憲法を変えようとしている。私たちは誰のためにどのように生きようとしているのか。どのように生きるべきか少しでも真面目に考えているのか。詰まらない目先の利益だけで動いているのではないのか。

 もし私たちが再び戦争に加担することになり、戦争で人を殺したり、殺されたりするような事態に陥ったとしたら、そのときは本当に特攻隊員として若くしてこの世を去った者たちの遺志を踏みにじることになる。そして、その責任は全面的に私たち、特に私と同年代の人間にある。年頭に当たり、そのことを銘記しておきたい。

(H18/1/1記)


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