☆ 技術立国日本のために ☆

井出薫

 東京証券取引所(11月1日)、名古屋証券取引所(11月4日)でシステムダウンが続き、いずれも午前中の株式取引ができなくなった。気のせいかもしれないが、最近信号機故障や車両故障による電車の遅延が増えているように感じる。JR西日本では新型ATSが正常動作しないというトラブルもあった。

 かつて、日本製品は故障が少なく、故障しても迅速に修理が完了すると世界から高い評価を受けていた。そして、それが日本人の誇りでもあった。しかし、それも過去の栄光になりつつあるようだ。

 新興IT企業やファンドの活躍(暗躍?)を見ていると、日本人も資産運用は随分と上手になったと感じる。しかし、グローバル市場での日本の地理的、歴史的、政治的な地位を考えると、資産運用で国を維持していくことができるとはとうてい思えない。やはり技術立国として良い製品を作りそれで利益を上げて行くのが日本の道だろう。それなのに、近頃の出来事をみていると心許ないこと甚だしいと言わなくてはならない。

 研究開発には企業も行政もそれ相応に資金を投入している。お陰でネイチャーやサイエンスなどの世界有数の論文誌に掲載される日本人の論文数は年々増加しており、かつては弱いと言われた基礎研究の分野では事態は相当改善されたと言ってよい。

 だが、その一方で、コスト削減の圧力をもろに受けて、かつては強かった現場が揺らいでいる。80年代、日本の電気通信事業者の現場技術者の技術水準とモラルの高さは、欧米を圧倒していた。わざわざイギリスの現場まで日本の技術者が出張して端末の設定や修理をすることだって珍しくはなかった。その当時は、国内外から「日本企業は、本社は経営者も含めてぼんくら揃いだが、現場は世界一優秀だ。」と言われたものだった。これは幾らなんでも褒めすぎかもしれないが、現場の技術水準と士気が国際的に見てトップクラスだったことは間違いない。NHKの「プロジェクトX」に取り上げられるような目立つ業績を挙げた現場だけではなく、日本中の名も知れぬ現場のすべてが高い質を維持し、それが日本の力になっていた。

 だが残念ながら今は違う。かつてのアメリカと同じようにマニアルに書いてあることしかできない現場技術者が急増している。故障が起きても、遣ることと言えば、マニアルに従い部品を取り替えるだけで、「彼(女)らはエンジニアではなくチェンジニアだ」と揶揄される所以となっている。しかも故障品は故障原因を調査して修理・再利用するのではなく廃棄してしまうことが増えている。

 確かに、部品の集積化が進み、故障原因探索は難しくなった。故障原因を究明するよりも、壊れた物は捨て新しい物を使った方が早くてしかも安いのも事実だ。だが、コストを重視する余り、安易にそういうことばかりしていると、現場の技術水準と士気が低下することは免れない。そして、現在の日本はそのとおりになっている。優秀な人材ほど今の現場には魅力を感じないだろう。ただのチェンジニアだったら誰にでもなれるのだから。

 いくら本社や研究所が画期的な新製品やサービスを開発しても、それを具現化して品質を維持する現場が弱体化しては、良い製品・サービスを市場に提供することはできない。だから、早急に現場の弱体化を押し止め、強い現場を再生する必要がある。

 現場の技術水準を向上させるためには無駄も必要だということを忘れてはならない。故障した部品の故障箇所と原因を長い時間を掛けて探索することは、短期的に見ればコストの掛かる無駄な作業だと言うことになる。しかし、そういう地道な作業を通じて初めて、現場技術者の能力は向上し、仕事に対する喜びと誇りを持てるようになる。そして、そういう優れた現場技術者の視点が製品開発にフィードバックされるとき、本当に役立つ品質の良い製品が産まれる。

 グローバルな競争激化の中、コスト重視は当然のことで、現場も聖域ではない。しかし、現場のコスト削減が製品価格低下に直結し短期的には効果が大きいために、余りにも安直に現場のコスト削減を進めすぎたと言わなくてはならない。日本が将来に亘って技術立国として生きていこうとするならば、もう一度現場重視に戻る必要がある。

 たとえ長期的な経済への影響に関しては意見が分かれるとしても、現場のレベル低下は大事故に繋がりかねないことだけは確かなのだから、各企業は現場の充実に心を砕いてもらいたい。

(H17/11/12記)


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