☆ 小泉首相の責任 ☆

井出薫

 マックス・ウェーバーは、倫理を、結果よりも行為の意図を重視する心情倫理と、結果を重視する責任倫理に分けている。各方面から反対や疑問の声が寄せられている靖国神社参拝に固執する我らが小泉首相の倫理はどちらに属するだろうか。

 「私は一個人として、戦争で亡くなられた人々の霊に敬意を表し、不戦の誓いのために参拝しているのであり、A級戦犯を参拝しているのではない。なぜ、それをいけないと言うのか。」これが首相の発言だ。首相の善意を否定するつもりはない。だが、冷静に考えれば、侵略され多数の同胞を殺された中国や韓国の人々が、日本の首相の靖国参拝に反発するのは当然のことと言わなくてはならない。

 小泉首相は明らかに心情倫理に傾いている。靖国参拝が戦没者への慰霊の気持ちと平和への祈念という善意から発しているものであっても、現実にそれが中国や韓国の人々の反発を招き、両国との関係悪化を招く恐れが強いというのに、それを強行することは責任倫理という観点には全く合致しない。

 マックス・ウェーバーに指摘されるまでもなく、国民生活に責任を持つ一国の首相は責任倫理に従って行動する必要がある。自分の意地や信念より国民生活を優先するのが首相の責務で、善意からの行為でも国民生活に損害を与えれば首相として失格だということを思い出してもらわなくては困る。

 首相は、靖国参拝に反発している者は少数に過ぎず、政治的な思惑で動いているだけと認識しているのかもしれない。しかし、そのような認識が冷静な状況分析に基づく根拠のあるものだとは言い難い。いずれにしろ、小泉首相は参拝が日本国民によい結果をもたらすかどうかを見極めて慎重に行動する義務がある。

(H17/8/5記)


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