☆ 長者に相応しいのか誰か? ☆

井出薫

 長者番付のトップに投資顧問会社の部長の名があがっている。サラリーマンでは初めてだという。しかし、今回の快挙はとうていサラリーマンを勇気づけるものではない。確かに経営者ではないかもしれないが、会社との契約形態や経歴を考えれば、サラリーマンと言うよりも自営業者に限りなく近い。

 それにしても、長者番付の上位を占めるのはベンチャー経営者を含めて、株式など有価証券を上手に運用する能力に長けた人たちばかりだ。かつてバブルの時代には、土地長者が番付の上位を独占していたが、今では有価証券長者の時代に完全に移行したらしい。

 株式市場が、資金調達を必要とする経営者に遊休資金を与えることで、生産活動と消費活動を活性化するという極めて有意義な社会的役割を果たしていることは間違いない。だから株を上手に運用する能力が社会的に貴重なものであるのも事実だろう。

 とは言え、株の売買だけでは何も生まれない。世界中の人びとが、毎日株取引に熱中して他の仕事をしなくなったら、すぐに全員餓え死にしてしまう。人はお金を食べては生きていけない。生産活動に従事する人がいて初めて株取引が社会的な意義を持つ。

 だから、投資顧問会社の部長が100億円もの年収があるのはいささか異常だと不平を言いたくもなる。株式の売買だけで資産を増やしてきたベンチャー経営者も同じだ。青色発光ダイオードの中村教授は1審では200億円の特許料が認められたにも拘わらず、2審では8億円に引き下げられた。株取引やその仲介業で得られる収入と比較して如何にも少ない。200億円は高すぎると感じた人が多いだろうが、今年の長者番付の顔ぶれと収入額を考えればけっして高くないと考え直すに違いない。中村教授には上告して最高裁まで戦ってもらいたかったというのが偽らざる気持ちではないか。

 ベンチャー経営者は多大なリスクを負っている、それと較べて中村教授はサラリーマンとしてローリスクだったというのが、株長者やそれを支持する人たちの言い分だ。だが、それはおかしい。本来、どれだけ人びとの生活に貢献しているかで各人の報酬は決まるべきもので、リスクをどれだけ負っているかで決まるべきものではない。リスクを負うことで報酬が決まるのならば、警察官や消防隊員こそが長者番付のトップに相応しい。ベンチャー経営者のリスクなど、最後は自己破産すれば消してしまうことができる。

 日本は資本主義国だから、株長者が生まれるのは、社会システムの仕組み上ある程度はやむを得ない。それをすべて禁止したり、膨大な税金を課すことで株式運用の旨みをなくしたりしたら、資本主義経済は円滑に運営できなくなるだろう。

 とは言え限度がある。マルクスが今の時代に生きていたら、「産業資本家が労働者から搾取した莫大な剰余労働の大部分を投機屋どもが食い物にしている。ブルジョア経済学者の頭の中では、資本が自動的に利益を生み出すという倒錯した思考が支配しているが、本当に価値を作り出しているのは産業労働者の労働だけなのだ。」と激しく非難するだろう。マルクスの理論は多くの点で時代遅れになったが、発展途上国では飢えに苦しむ人びとがたくさんいる一方で、株取引だけでこれだけの膨大な報酬が得られるという現実を鑑みると、マルクスの資本論は未だに有効だと言わなくてはならない。マルクスは(未完成ではあるが)資本論第3部で利子生み資本に関する批判的考察を展開しているが、その批判は今でも読むに値する。

 マルクスの主張は別にしても、株取引を上手くやるだけで膨大な報酬が得られるとなると、生活に必要な物を苦労して作り収入を得ることがばかばかしいと感じる人が増えるだろう。こういうこともニートが増加している背景にあるのではないか。小泉首相も努力が報われる社会を作ると言うのであれば、それぞれの仕事の適正な所得がどれほどなのかよく考えて、それが現実化するような仕組みを考えてもらいたい。

(H17/5/21記)


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