☆ 人を責める前に ☆

井出薫

 脱線電車に乗っていたJR西日本社員2名が救助活動をせずに出社したことが問題視されている。だが、なぜそれが問題なのかよく分からない。

 彼らの任務が緊急時の救助活動ならば非難されるのは当然だが、二人は運転手であり、時間通り出社し電車の運転をすることが任務だ。だとすれば、会社から救助活動に参加するよう指示がない限り出社するのが従業員の勤めであり、それが非難されるいわれはない。彼らは出社する前に事故があったことを社に報告したが、上司から救助活動に参加するよう指示されていない。だから出社して当然だ。

 手続きの問題ではなく、道義上の問題だと言う人がいるかもしれない。しかし、彼ら二人が現場に留まって何ができただろうか。脱線したことは分かっていても、事故の規模も、電車に残された乗客がどのような状況にあるかも分からなかった。そこに留まっていたとしても、結局その場をうろうろしているだけに終わった可能性もある。そして、そのときには「なぜすぐに出社しなかった。お前達が現場にいても役に立たないことが分からなかったのか。」と叱責されていたに違いない。

 確かに二人の取った行動は最善とは言えないかもしれない。運転は社で待機している者に交代してもらい、救助活動に協力する方がより善い選択だったのだろう。しかし、緊急時にそのように冷静に行動できる者などほとんどいない。だから、二人は普通の従業員としては許容される範囲の行動を取っただけと考えてよい。責任を追及するならば、事故が起きたときの緊急体制作りをしておかなったJR西日本の経営陣並びに執行責任者の責任を問うべきだ。

 被害者やその家族が怒るのは当然だとしても、それ以外の人たちは、自分たちが、彼らの行動を非難できるほど日頃立派な仕事をしているかどうか、胸に手を当ててよく考えてもらいたい。いい加減な仕事をしたり、黙っていれば分からないだろうと誤魔化したりすることがちょくちょくあるのではないか。そんなことは一度もないという立派な人もなかにはいるだろう。だが、筆者自身の経験からしても、そうではない人の方が圧倒的に多いはずだ。勿論筆者も多数の一人だ。

 聖書に、イエスが、娼婦に石を投げつけようとする人々に向かって、「このなかで石を投げることが出来る者だけが、石を投げよ。」と言うと、誰も石を投げないで逃げ去ったという記述がある。人を非難する前に、自分の日頃の行いを反省した方がよい。実際、脱線電車に乗り合わせて、幸運に怪我がなく下車してそのまま知らん顔をして会社や学校に出社・登校した人たちがたくさんいるはずだ。彼らは何の咎もないのだろうか。そして、ただ漫然とテレビで事故の報道を眺めていた人々は?



(H17/5/4記)


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