☆ 環境の時代 ☆

井出薫

 21世紀は、もし人類が生き延びることが出来たとしたら、後世の人々は、どんな時代として総括するだろうか。おそらく「環境の時代」と呼ぶに違いない。

 京都議定書が発効したが先行きは楽観できない。最大の二酸化炭素排出国で議定書の批准を拒んでいるアメリカや、排出量がいずれアメリカを超えると予想される中国とインドの環境への取り組みが不透明で、京都議定書が実効性のあるものとなるのかどうか懸念される。京都議定書の内容そのものも適宜検証・見直しをしていく必要があろう。

 1970年代、ローマクラブが「成長の限界」を発表して人類に警告を発してから30年以上の月日が流れた。しかし、提起された問題は解決していない。地球は無尽蔵の倉庫でも、無限のキャパシティを持つゴミ捨て場でもない。40億人を超える発展途上国の人々すべてが先進国並の生活を享受するようになったら、どうなるだろう。現代の産業と生活スタイルを維持したままでは、環境破壊と資源の枯渇で地球は人類が生存できない場所になってしまう。

 発展途上国の人々に貧しいままで我慢しろなどと言う権利は誰にもない。すべての人々に豊かで平和に暮らす権利がある。だから経済発展を求める途上国の動きを妨害することは許されない。

 未だに「科学技術が発展すればなんとかなるのではないか。これまでも絶滅だなどと危機を煽る人がいたが、何も起こらなかったではないか。」とのんきに語る人が少なくないが、それは間違いだ。長期的な環境問題や資源の問題は、ノストラダムスの予言とは訳が違う。早く手を打たないと、手遅れになりかねない。

 科学の時代と呼ばれた20世紀の最盛期には、月や火星への人類の進出がまことしやかに論議された。だが、現実には不可能と言わなくてはならない。少なくとも、ここ数世紀のうちに、人類が月や火星に都市を作りそこに暮らすなどということはありえない。そもそも、月や火星に本気で暮らしたいと思う人がどれだけいるだろうか。人類は地球で生きるようにできている動物で、他の星では暮らせない。

 だとすると、道は一つしかないように思われる。アメリカに代表されるような大量生産・大量消費の産業・生活のスタイルを抜本的に改革して、地球を大切にすることだ。

 日本は国土が狭く資源に乏しい、しかも、その割には人口が多い。こういう困難な状況の中で、先人は知恵を絞って自然と共存して生き抜く術を培ってきた。しかし、戦後の経済発展の中、「無い物は外国から買えばよい」式の産業・生活スタイルが定着し、先人の生きる知恵はほとんど放棄されてしまった。

 貧しいながらも自然と共存してきた発展途上国でも同じことが起きるだろう。多くの国が目指すところはアメリカ式の大量生産・大量消費の社会で、伝統的な生きる知恵は見捨てられようとしている。

 風呂敷はビニール袋などより遥かに多くの用途があり環境には優しい。ビニール袋は確かに便利だが、環境を破壊し資源も浪費する。箒とハタキは掃除機よりも手間が掛かるが、うまく使えば掃除機よりずっと綺麗に家屋を清掃できる。先祖たちの簡素な生活様式に倣って、電気や石油資源に依存しない道具や技術を生活に取り入れることで、ライフスタイルの改革を進める必要がある。

 だが何よりも産業構造・生産様式の転換が必要だ。各国協調の下、土地利用の見直し、省エネルギー技術や有害物質除去技術の開発、バイオ素材の有効活用、中央集中型の発電・給電方式から分散型の電力供給への切り替え、過剰な貿易依存からの脱却と自給自足経済の再評価など様々な取り組みが求められている。大量のエネルギーを消費して環境にも悪影響を与える現在の運輸・交通の在りかたにもメスを入れる必要がある。たとえば化石燃料を使用する自動車の使用制限も検討に値する。

 学問分野では、環境科学や環境技術だけではなく、経済学の新しいパラダイムが求められている。現在でも、経済学者から排出量取引や環境税導入など有益な提言がなされている。しかし、一部で環境経済学などの試みがあるとは言え、環境という要因が経済理論に十分に取り入れられているとは言い難い。現在の経済理論に従うと、グローバリゼーション政策は、発展途上国の経済発展を促し、同時に先進国経済の安定成長をもたらすと評価されることになるようだが、本当にそうなのだろうか。環境という要因を考慮すると全く別の展開も想定されうる。

 環境の時代と言うより前に解決しなくてはならない政治的・経済的な課題が山積していると言う人もいるだろう。環境問題・資源問題を強調する余り、経済的搾取や政治的抑圧などの問題が後回しにされると危惧する人もいる。確かに、今の環境・資源論争を見るとそういう面がなくはない。しかし、決定的な解決策は見つかっていないとは言え、政治経済問題では人類は多くの経験を積み重ねてきたし、国連など問題検討・解決のための組織と制度も一応整備されてきている。

 しかし、環境問題は違う。問題の指摘は昔からなされてきたとは言え、基本的に人類にとって未知の領域であり、問題検討・解決のための組織・制度もほとんど整備されていない。人類は、道をこれから探さなくてはならないのだ。このことを十分に肝に銘じ、京都議定書の発効をその第一歩としたい。

(H17/1/21記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.