☆ システムの調達 ☆

井出薫

 社会保険庁が特定の業者と長年に亘り随意契約を締結して業者の言うままに支払いをしてきた、しかも、昨年度は契約外の業務に106億円を支払ったと報じられた。

 随意契約は馴合いや談合の温床となることもあるが、一概に悪いとは決め付けられない。競争入札は公平性と透明性は確保しやすいが、発注する側に相当の力量がないと、安物買いの銭失いになる危険性が高い。調達担当の負担も非常に大きい。今回の社会保険庁の問題も、システム開発・運用の内容と支払われた金額の妥当性を検証しない限り、不正やいい加減な処理が行なわれたと決め付けることはできない。−ただし法的あるいは契約上の問題は別であるが。−

 ソフトウエア開発にコストが高くつくコンピュータネットワークシステムは、システムの仕様を確定するまでに大変な労力が必要であり、見積もりが非常に難しい。仕様を確定しても、開発の過程で手直しが必要になったり、発注する側あるいは開発する側で仕様の漏れに気付いたりすることは日常茶飯事だ。

 正直言って、コンピュータネットワークシステムは、受注してから開発が完了し、実運用が開始されてシステムが安定稼動するまで、どれくらいコストが掛かるか分からない。つまり、受注の時点で請負金額を決めることは実際上不可能なのだ。だから、競争入札方式はコンピュータネットワークシステム調達には馴染まない。

 競争入札になると、どうしても仕事が取りたい業者はコスト度外視で入札する。その結果、システム開発担当者は現代の女工哀史の世界に叩き込まれる。ITなどと格好の良い言葉が使われているが、システム開発特にソフトウエア開発ほどきつくて残酷な仕事は他にない。開発に行き詰ったり、納期が間際になったりすると、残業時間は人間の生存限界ぎりぎりまで伸びることになる。慢性的な精神的疾患に苦しんでいる開発者も少なくない。それは当然だ。労働時間が長いだけではなく、仕事の性質から努力して休もうとしても頭が休まるときはない。頭の中は、何故か上手く動かないプログラムがぐるぐると回り続けている。こんな地獄の苦しみの報酬は僅かだ。会議室で能書きを垂れている連中や格好よくプレゼンテーションしているコンサルタントやらの半分もいかない。大企業は世間体や労働組合の反発があるから、営業窓口だけ担当して、ソフトウエア開発は下請けの中小企業に押し付ける。ソフトウエア開発は、身体が汚れたり傷ついたりするわけではなく、その過酷さが外から分かりにくいから、労働環境はどんどん悪くなる。

 労働者の健康維持と人権擁護の観点から、コンピュータネットワークシステム調達に競争入札方式を導入することには反対する。導入するのならば最低入札価格を決めるべきだが、それならば競争入札の意義は少ないだろう。

 寧ろ、随意契約で特定の業者に発注して、その後の開発過程を逐次一般公開して、関係各方面からその仕事振りを評価してもらうような遣り方が好ましい。必要があれば契約金額も見直す。その方が、発注側も業者側も技術向上に繋がり、よいシステムが出来上がる。

 随意契約する相手を組織毎に変えたり、専門家を交えた委員会で開発能力を有する業者を探したりすることで、公平性や透明性を保つこともできるはずだ。

 社会保険庁の問題を、「随意契約と談合・馴れ合い」などという短絡的な文脈で解釈し、安直に競争を導入して、高い知能と責任感の持ち主である良心的なソフトウエア開発者を追い詰めるような愚は犯さないでもらいたい。馬鹿の一つ覚えで「競争、競争」と言っているだけでは世の中悪くなるだけだ。

(H16/11/29記)


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