☆ 先駆者の苦悩 ☆

井出薫

 クロネコヤマトのヤマト運輸が、ローソンの「ゆうパック」取扱開始に絡んで、郵政公社を相手取って独占禁止法違反だとして訴訟を起こしている。事の是非を論じるつもりはない。だが、今回の訴訟には宅配便の先駆者ヤマトの苦悩が感じられる。

 宅配便事業は、ヤマト運輸が旧運輸省の抵抗に屈することなく顧客本意の姿勢を貫き、立ち上げた事業だ。昔は、ゴルフやスキーに行くときには、重い荷物を担いで自家用車や列車で出掛けなければならなかった。知人などに荷物を送るのも一苦労だった。宅配便事業が普及して、取扱所が全国に広がることで、気軽にゴルフやスキーに出掛けることができるようになり、荷物を送ることも容易になった。先駆者ヤマト運輸の社会的功績は大きい。

 だが、ヤマト運輸の事業環境は厳しくなっている。佐川急便や日本通運が激しく追い上げを図っており、低料金でヤマトの顧客を奪回しているようだ。インターネットショッピングサイトが使う宅配便は最初の頃はクロネコヤマトが多かったが、近頃は他の宅配便業者に変えたところが少なくない。

 宅配便事業創成期には、ヤマト運輸がサービスの豊富さ、信頼性の高さで他の事業者を圧倒していた。かつては、精密機器や壊れ物などは、クロネコヤマト以外の宅配便を使うと危険だという印象があった。しかし、今では、ほとんど差がなくなっている。こうなると、料金と取扱所の多さが勝負になる。

 この時期、郵政公社がゆうパックなど宅配便事業に本格的に乗り出したことは、ヤマト運輸にとっては大変な脅威だろう。ヤマト運輸が訴訟を起こした背景には、このような事業環境の変化があると思われる。

 今では世界中の人が使っているインターネットホームページ閲覧ソフト、所謂「ブラウザ」の先駆者がネットスケープであることは誰もが認めるだろう。パソコンには必ずネットスケープがインストールされていた時期もあった。ネットスケープのお陰で、インターネットは専門家の私的なネットワークから誰もが使えるネットワークへと変貌した。この功績は世界史に残るものと言っても過言ではない。

 しかし、コンピュータソフトウエア業界で圧倒的な力を誇るマイクロソフトが、ネットスケープを押し潰した。マイクロソフトのインターネットエクスプローラは、ほとんどネットスケープのパクリだと言ってよい。確かに、知的所有権の問題はクリアしているのだろうが、ネットスケープの機能をそのまま別のプログラムに書き直しただけのものでしかない。ネットスケープのブラウザより優れているところなどないに等しい。しかし、結果はマイクロソフトの圧勝だった。AOLに吸収されたネットスケープは、AOLとともに没落した。

 同じ道をヤマト運輸も辿るのだろうか。クロネコヤマトのサービスのクローンに過ぎない「ゆうパック」が、巨大な官の力を持ってヤマトを駆逐するのだろうか。郵政公社民営化の議論をみていると早晩そうなるような気がする。だが、これが市場原理というものなのだろう。

 先駆者は苦悩する運命にある。かつて松下幸之助は「ソニーは松下の研究所」と言ったことがある。ソニーに最初を遣らせて、後から奪う。これが老獪で成功する経営者の秘訣だろう。今ではマイクロソフトがその典型だ。インターネットエクスプローラだけではなく、ウインドウズ、マイクロソフトオフィス、LAN関連ソフト、メディアプレイヤー、どれ一つとしてマイクロソフトオリジナルと言えるようなものはない。すべて他の企業のクローンだ。市場で勝利するのは、豊富な資金と、他の者の先駆的な業績を速やかに奪い取る力を持つ者だ。

 だが、インターネットが一般に普及しだした頃から関わってきた者として、ネットスケープの功績は決して忘れることはできない。同じように、ヤマト運輸の功績も忘れてはならないだろう。ヤマト運輸が没落して、人々の心に、「先駆者は結局損をする。起業家になるにして、他の人間の遣ることを真似る方が賢い。」という考えが蔓延しないことを祈りたい。

(H16/11/14記)


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