☆ 自己責任で食べる? ☆

井出薫

「BSE全頭検査見直しに反対だ。」
「だが、20ヶ月以下の若い牛は検査をしてもBSEが発見できないのだから、検査する意味がない。廃止するべきだ。」
「20ヶ月以下の牛ではBSE感染が検出できないならば、20ヶ月以下の牛は食用にしないように規制するべきだ。」
「ばかばかしい。どんな食物にも危険はある。BSEに感染する確率と、交通事故に巻き込まれて死亡する確率とどちらが高い。後者の方が遥かに高いはずだ。そんなにBSEが怖いのならば、君が牛を食べなければよい。検査規準見直しは、国民に牛を食べることを強制しているのではない。嫌な者は食べなければよい。私は自己責任で牛肉を食べる。」

 こんな会話を知人と交わした。BSE検査に反対しているのが筆者で、それに反論しているのが知人だ。知人の議論がそれなりに説得力を持つことは認める。「どんな食べ物にも危険がある。」、「BSE感染の確率は現時点では極めて低いと想定される。」、「若い牛ではBSEが検出できないのなら検査は無意味だ。」異論がないわけではないが、基本的にすべて正論だ。

 しかし、「自己責任で食べたい人間は食べればよい。」という意見には賛成しかねる。河豚も調理方法を間違うと命を落とすことになる。免許を持った料理人でもミスを犯すことはあるから、専門店で河豚を食べても絶対に安全とは言えない。そして、そのことは誰でも知っている。だから、河豚を食べる者は自己責任で食べているのだと言えなくはない。

 しかし、BSEの場合は状況が全く異なる。牛肉は極めて広く様々な食品に使用されている。BSEが怖くて慎重に牛肉を避けていたつもりなのに、実は食べていたということは大いにありえる。いや、厳格なベジタリアンでもなければ、ほとんどの人は気が付かないうちに牛肉を食べているだろう。

 河豚毒の正体はよく理解されている。確かに事故の確率をゼロにはできないだろうが、基本的によく注意すれば中毒を避けることができる。だが、BSEや変異型クロイツフェルド・ヤコブ病はその正体が分かっていない。発病のメカニズムも、その感染のメカニズムも解明されていない。だから、本当に感染率・発病率が低いのかどうかは定かではない。 要するにBSEは河豚毒と異なり未知の危険なのだ。

 自己責任とは、問題となる事物を人々が良く理解しているとき、そして、それに対して各人の信念に従って適切な行動を取ることができるとき、そういうときだけに有効な概念だ。BSEはそういう事例ではない。「自己責任で食べるのだから良いだろう。」では駄目なのだ。

 若い牛の検査を撤廃することで、より良い検査方法確立へのモチベーションが薄れ、BSEやクロイツフェルド・ヤコブ病などプリオン病の研究が停滞することも危惧される。現時点では、BSEの全頭検査を安易に廃止するべきではない。寧ろ、20ヶ月以下の牛を食べることを禁止するべきなのだ。

 最近の一連の議論を聞いていると、見直しを拒否する者は非科学的な迷信家であるかのように言われることが多い。だが、それは違う。一見もっともらしい議論に惑わされてBSE検査の規準見直しを容認してはならない。それこそが自己責任の放棄に繋がる。

(H16/10/17記)


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