☆ 科学の敗北ではないか ☆

井出薫

 BSE検査の見直しが行なわれようとしている。生後20ヶ月以下の牛が検査対象から除外される。

 だが、生後20ヶ月以下の牛が感染しないのではない。感染があっても検出できないから検査は無意味だと言うのだ。そして、現在の検査方法で検出できない程度の感染であれば安全だということが証明されているわけではない。坂口厚相は「BSE問題は科学的側面の他に心情的側面もある。消費者の心情も十分考慮する必要がある」と早期の見直しに慎重な姿勢を示しているが、早晩見直しが実施されるのは必至の状況だ。

 しかし、そもそも、これは心情の問題ではなく科学の問題だ。政治的な思惑の下に、プリオンの前には科学は無力だということが宣言させられた。これが科学の敗北でなくてなんであろう。

 私は科学が完全無欠ではなくてはならないと言っているのではない。そんな科学は存在しない。100%確実でなければ何も遣らないというのでは、科学の進歩も、その社会への貢献もありえない。科学は常に不確かなのだ。だが、問題は、科学が完璧かどうかではなく、科学的な精神を如何に堅持するかだ。

 「現在の検査方法では、20ヶ月以下の牛の感染は検出できない。」という事実から「検査はしない」という結論が何の疑いもなく導き出されていることが問題なのだ。「検査はしない」ではなく「20ヶ月以下の牛はBSEに感染していても検出できないから食用にしない」という選択肢だってあるのだ。それが何の根拠も示されないままに排除されている。寧ろ、こちらの選択肢こそが科学が取るべき態度なのではないか。こんないい加減な結論が安易に引き出されるのでは、科学と占星術は少しも違いはないことになる。ただ科学のほうが占星術より当たることが多いというだけだ。

 「現在の検査方法では検出できない」なら、一日も早くプリオンのメカニズムを解明して、確実な検出方法を考案するのが科学の任務だ。そして、「検出方法が発明されるか、現在の検査方法で発見されない程度であれば害がないことが証明されるまでは、生後20ヶ月以下の牛を食用にすることは禁止するべきだ。」と進言するのが科学者の務めではないか。ところが、科学者の間にも「アメリカや国内の業者がうるさい。まあ、今のところBSEの感染率は極めて低そうだ。交通事故で死ぬより遥かに確率は低い。だから、いいじゃないか。俺も焼肉が大好きだ。」と極めて俗っぽい政治的な論理が罷り通っている。

 科学が政治に敗北したなどと言うつもりはない。科学が政治に勝ったことなどないのだ。それに、政治的な立場からすれば、BSE感染の回避と、米国との友好や国内業者の経営とどちらが重要かというリアルな選択が迫られている。そして、十分な情報公開の下で国民の支持が得られるのであれば、「20ヶ月以下の牛は食用にしない」ではなく「検査はしない」という選択がなされるのも止むを得ないかもしれない。

 だが、政治家はそれで良いだろうが科学者は駄目だ。科学者はあくまでも科学的に問題解決を目指さなくてはならない。科学者は政治家から疎まれても科学的精神を堅持しなくてはならない。

 多数の国民が検査見直しを支持するのであれば、検査の緩和も致し方ない。だが、リスクがないわけではないことをはっきりと国民に知らせることが不可欠だ。そして、科学者は一日も早いプリオン解明に励むことだ。科学が無力ではないことを証明するために。

(H16/9/10記)


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