☆ 他に遣ることがあるはずだ ☆

井出薫

 毎度のことながら、今日も、駅の入口の階段下通路で、若い男女が宣伝用のチラシやティッシュを配っている。相変わらず詰まらないものばかりだ。私が利用する武蔵境駅の北口の階段下通路は工事の影響もあって大変狭くなっている。そんなところで、どうでもよいチラシなど配られると、余計狭くなって本当に迷惑だ。

 いつも駅に文句を言ってやろうと思うのだが、いざとなると怖気づいて何も言わずに通り過ぎることになる。その都度、自分の気の弱さが嫌になる。朝から、何でこんな思いをしなくてはならないのだ。

 受け取らなければ、それで済むのだから文句を言うまでもあるまいと言う人もいる。しかし、チラシを一旦受け取ってすぐにその場で捨ててしまう人がいる。取り損なって道に落ちてしまうこともある。お陰で、駅の通路が、チラシやティッシュでゴミだらけになることもある。そうでなくても、チラシはすぐにゴミ箱行きだ。両面印刷してあるからメモ代わりにも出来ず捨てるしかないのだ。

 全く無駄な話しだ。環境にもよくない。どうして禁止できないのか。

 チラシやビラを配ることを制限すると、表現の自由を侵害することになるという意見がある。なるほど、政治的な主張を記したビラ配りを制限することにはもちろん問題がある。しかし、政治活動や言論活動を制限しろと言っているのではない。広告宣伝のチラシなどを人通りの多い狭い通路などで配るなと言っているだけだ。駅の掲示板か何かに、広告宣伝のビラを掲示してもらえば済むはずだ。

 掲示板の使用料が高いのかもしれないが、アルバイトのお兄さんやお姉さんを雇う費用やチラシを印刷する費用だってバカにならない。それでも、人を使ってチラシを配る方が掲示板を使用するより安いのなら、駅の方で何か対策を立てて欲しい。

 待ち合わせの場所は駅が一番多い。駅は一時的に通過するだけの場所ではなく、多くの人が使う公共の場なのだ。ゴミを散らかしているに等しいチラシ配りなどではなく、もっと有意義な使い方があるはずだ。鉄道会社、市民、自治体が一緒になって有効活用を考える必要がある。それに、将来ある若者が詰まらないチラシ配りをしているのは、大きな社会的損失だ。どうしても必要なら私に遣らしてもらいたい。ただし、バイト料は高いぞ!

(H16/7/3記)


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