☆ 都市からの脱却 ☆

井出薫

 東京の混雑は相変わらず凄い。しかも一向に緩和される気配がない。夏は年々蒸し暑くなるようだし、よく皆我慢していると感心する。尤も、斯く言う筆者も我慢している一人なのだが。

 地球上のすべての生物は、太陽光と二酸化炭素から生体物質を作り出す陸上の植物と海洋の植物性プランクトンのお陰で生きている。人間も植物に寄生する生物の一つでしかない。

 ところが、いまや、人間という種だけが図々しく植物達の生産物を独り占めしようとしている。特に、それが酷いのが東京のような大都会だ。大都会の植物の生産量は極めて低い。自然の恵みが最も乏しいのが都会だ。それなのに、そこには人が集中しており、植物達の生産物を浪費している。最新の研究によると、都会の消費量は、その地域での植物の生産量を遥かに上回っているらしい。

 つまり、都会に人が集まり、過疎地から運ばれてくる食料や生物資源を浪費しているわけだ。これは物理学的並びに生物学的に見て、極めて効率が悪い。なぜなら、物やエネルギーの運搬には、必ず「自由エネルギーの損失あるいはエントロピーの生成」が伴うからだ。電気通信網を利用した情報伝達ですらエントロピーの発生を伴う。

 だから、効率よく生産・消費して、自然環境への悪影響を避けるには、可能な限り近場で食料や生物資源を獲得して、それを利用することが必要だ。だが、現代のような都会生活中心の社会では到底実現できないだろう。

 グローバリゼーションという言葉が普及して久しい。確かに、グローバル化は、富の公平な分配と、必要とする物を必要とする人たちに迅速に届けるという現代人の理想に貢献する面もある。だが、その一方で、グローバル化が世界的な規模で都市化を助長していることを見逃してはならない。過剰な都市化は、自然を破壊して社会を荒廃させる。

 取り返しがつかなくなる前に手を打たなくてはならない。政治家や行政官は、脱都市化が緊急を要する課題であることを認識して、適切な施策を直ちに進めなくてはならない。遷都だ、首都機能移転だ、展都だ、などという形而上学的な議論をしている場合ではない。(そもそも、いつから「展都」なんて変な言葉が出来たのか?)

 私たち都会生活者も早く東京信仰を捨てるべきだろう。とは言え、東京信仰を捨てても行く場所がないのが辛いところだ。地方にも頑張ってもらいたい。

(H16/6/30記)


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