井出薫
芥川賞作品が売り上げ100万部を突破するのは、村上龍氏以来の快挙だという。 綿矢りささんの「蹴りたい背中」は、芥川賞受賞までの数ヶ月で20万部近く売れていた。「インストール」で美少女高校生作家としてデビューした彼女ならでは売れ行きだったと言えよう。だが、この時点ではその購買層はほぼ若年層に限られていた。 それが、芥川賞で一気にブレイクした。芥川賞+史上最年少+清楚な美少女という圧倒的な購買意欲喚起力は、若年層から一挙に中高年層まで読者を広げた。 ベストセラーランキングを見ていて、さすがに勢いが落ちてきたと思ったら、今度は「100万部突破」という記事が出た。その途端に、また、ベストセラーランキングのトップに返り咲いている。 美少女高校生作家、芥川賞受賞、100万部突破という報道が、人々の購買意欲を喚起して、その都度売れ行きを伸ばしている。養老孟司氏の「バカの壁」にも同じ傾向がみられる。売れているという情報が確実に売れ行きを後押ししている。実に単純明快だ。 別に、綿矢さんや養老さんの著作にケチを付けるつもりはない。そんなに売れるほどのものかという気はするが、どちらも面白い。 とは言え、いささか、単純すぎるのではないだろうか。筆者は、経済現象を物理学のように数学を使って説明しようとする現代の経済学者に対して疑念を抱き続けてきた。「経済現象は自然現象とは全く異質なもので、経済学の方法と目標は物理学などとは全く別のものでなくてはならない」というのが持論だった。 だが、自信がなくなった。こうも、単純に人々が動かされるのをみると、理性的存在などと威張っていても、所詮、人間など、培養地の栄養条件で個体数が増減する微生物と大して変わりがないように思えてくる。 実際、そうなのかもしれない。株の動きなども実に単純だ。戦争が始まりそうだと報道されると一斉に売りが始まる。回避されそうだと報道されると一挙に買い戻される。経済学は、いずれ、人類という種の数理生態学に帰着するのかもしれない。多分、経済学だけではなく他の人間・社会科学も同じだろう。 そのとき、社会や人生に意義を与えるのは専ら芸術の仕事となる。文科系の学問を志す若者には、芸術的センスを磨いておくことをお勧めしておく。 |