☆ 社会的損失 ☆

井出薫

 子供の頃からお世話になっていた小さな町の本屋さんが閉店した。駅前の商店街に立ち並ぶのは、銀行の支店、大手スーパー、コンビニ、ファーストフード、大手飲食のチェーン店、携帯電話会社の代理店などばかりで、昔馴染みの店はめっきり少なくなった。

 「自由な市場競争では、各企業は効率よく商品を提供しなくてはならない。その結果、消費者は安くて良い商品を購入できるようになる。昔ながらの仕事のやり方を続けている商店は脱落していく。しかし、そういう商店を営む人たちも、長い目で見れば、将来性のない仕事を続けるより、他の職業に移る方が結局は得になる。」経済学の教科書どおりだとすると、こういうことになる。

 だが、経済学で考慮できない様々な損失があるはずだ。昔馴染みの商店が消えていくことで、地域の連帯感は著しく縮小した。

 犯罪の増加の主要原因が、外国人の増加であるかのごとき議論があるが、間違っている。犯罪増加の主要な要因は、人々の連帯感が失われていることだ。児童虐待、家庭内暴力の増加がそれを如実に示している。犯罪のプロだって、人々がお互いを信頼して助け合って生活しているような場所では仕事がしにくい。人間の無機的な集合があるだけで、人々が孤立している場所では泥棒も誘拐も簡単だ。

 経済効率だけを追い求める社会では、合理化の皺寄せが必ずどこか別のところに現れる。それを無理やり経済的なコストに換算して、市場原理で解決しようとする経済学者がいるが、市場原理至上主義で解決できるとは思えない。人間は商品ではないのだ。

 だからと言って、「大店舗の規制を強化するべきだ」などと主張するつもりはない。いまさら、そんなことで問題が解決されるはずもない。だが、GDPなど表面的な数値ばかりに目を奪われて、人間社会の本質を見失い、良い社会とは何かを考えることができなくならないように注意が必要だ。

(H16/2/26記)


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