☆ カント没後200周年 ☆

井出薫

 西洋哲学史の最高峰カントが亡くなってから、2月12日で200年になる。カントが現代の日本をみたら、どう思うだろう。

 「永遠平和のために」で、カントは、当時の日本の鎖国政策を、ヨーロッパ列強の植民地化を免れるための賢明な方策と高く評価した。カントの評価が適切なものかどうかは別としても、当時の江戸幕府には独自のポリシーがあった。それと較べて、いまの日本はどうだろう。アメリカに追随するだけで何のポリシーもないのではないか。

 「啓蒙とは何か」で、カントは、「啓蒙とは悟性を使うことができない未成年状態から脱却することだ。」と述べている。(ここで、「悟性」とは普通「知性」と呼ばれているものを指すと考えてよい。)カントは、さらに「未成年状態に留まっているのは本人の責任だ。悟性は誰もが持っている。それを使えないのは本人の決断と勇気が欠けているからだ。」と論じている。

 さて、現代の日本はどうだろう。悟性を使う決断と勇気があるだろうか。政界・官界・財界は既得権益とアメリカのご意向に気配りするだけで思考停止状態。言論界も、海外のポストモダニズムの物真似をして「啓蒙も理性も時代遅れ。」と大風呂敷を広げるだけで、代案を一つも提示できない。「啓蒙を超える」などと言えるような地点には到底達していないのに、それを無視して流行を追うばかり。こちらも思考停止状態だ。

 日本人全体を見回しても、テレビにへばりついて、くだらないお笑い番組と戦争や飢餓で苦しむ人々を一緒くたにして、何が重要か考えることができない人ばかり。(斯く言う筆者も同じ。)

 こういう状況は日本に限ったことではないかもしれない。だが、現代の日本が、カントの時代より遥かに豊かになったけれど、その知性は大して進歩していないことは否定しようもない。カントを勉強するのはしんどいが、たまには挑戦してみる必要がありそうだ。

(H16/2/5記)


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