井出薫
青色ダイオード訴訟で、裁判所は、日亜化学工業に対して、発明者中村氏の請求どおり200億円の支払いを命じた。しかも、裁判所は、正当な発明対価は600億円であると認定した。中村氏は追加請求するそうだ。 判決に対して、日亜化学工業は控訴するという。日亜化学工業の言い分も理解できないわけではない。現代の科学技術の産物はすべて多様な技術の組み合わせだ。青色ダイオード製品も専ら中村氏の発明だけで出来ているのではない。だが、中村氏の発明が決定的な一歩だったことを否定することはできない。また、これまで、中村氏に十分な処遇・報酬を与えてこなかったことは遺憾だ。いつまでも裁判を継続するのではなく、中村氏と和解する道を模索してもらいたい。 欧米諸国と比較して、日本では、優れた研究に対して正当な評価がされないことが多かった。その意味で、今回の判決は画期的だ。これを機に、企業の研究者・技術者の待遇改善が進むことを期待したい。ただ、600億円の算定根拠にはやや疑問が残る。 裁判所の理屈はこうだ。「製造販売開始の1994年から特許期間満了(2010年)までの推定売上高は約1.2兆、特許の使用を他企業に認めた場合、他企業はその半額の6千億の売上を得て、日亜化学には特許実施料(20%)1200億が入る。中村氏の貢献度は50%、だから、600億円の対価が妥当。」 だが、日亜化学工業は特許の使用を認めておらず、1200億円の特許実施料が入るというのは想定に過ぎない。他社が20%の特許使用料を支払って、それを使用するかどうか、使用したとして6千億円の売上が得られるのかどうか、かなり疑問だ。 特許料という概念で、発明対価を算定するのは、発明者への報酬という観点に立てば、合理的な方法であることは事実だ。現実に特許料が会社の収益になっているならば、その額から発明者の取り分を計算すればよい。しかし、そうでない場合は、推定特許料は恣意的なものに過ぎず、場合によっては、経営を圧迫して、企業の研究開発に対する意欲をそぐ恐れがある。また、計算の中に、将来の売上も算入されていることにも疑問がある。 今回のような事例では、中村氏の発明がなかった場合、他の条件を同じとして、日亜化学工業が1994年から現在までの間にどの程度の売上と利益を得たと推定されるかを計算して、その数値と現実との差額を基にして、中村氏の報酬額を算定するという方法を採用したらどうだろう。将来分については製品の売上の何パーセントかを支払えばよいだろう。 そのような算定方法は法的根拠がないと専門家からお叱りを受けるだろう。だが、中村氏のようなずば抜けた研究者に与えられる報酬は、会社を起こして大企業へと育て上げた創業者や会社業績を飛躍的に改善した経営者に与えられる報酬に近い性質を持つように思われる。だから、会社発展への寄与という観点で評価する遣り方があってもよいはずだ。 「600億円」という数値はサラリーマンの収入としては余りに巨額だ。嫉妬深く集団主義の日本人は、この数字を聞いてどう感じただろう。「会社に居たから研究ができたのだろ。こんなべらぼうな対価を請求するのは図々しい。」こんな嫉妬の声がこそこそと聞こえてくるような気がする。 中村氏は自分の発明を「百年に一度の発明だ。」と堂々と主張する。こういう発言を聞くと、大学こそ違うが同じ79年に理系の修士課程を卒業した凡庸なる筆者などは、ついつい「青色ダイオードが百年に一度の発明なら、電気は十億年に一度、飛行機、コンピュータ、抗生物質は一億年に一度、CTスキャンは百万年に一度の発明だな。」などとケチを付けたくなる。日本人は、中村氏のような自己主張の強いタイプより、ノーベル化学賞の田中耕一氏のような静かで謙虚なタイプを愛する。どうも、この先、中村氏は嫉妬の対象になりそう気がする。 そういう日本社会の特質を考えると、中村氏は、サラリーマンではなく、日亜化学工業の中興の祖と考えた方が人々の理解が得られやすい。そう考えれば、600億円くらいの財をなしても文句はないだろう。中村氏の発明がなければ同社の事業規模や利益は現在の数分の一以下だったことは明らかなのだから。 だからこそ、今回のような事例では、特許料支払いという観点ではなく、企業の飛躍的な発展への功績に対する報酬という観点で評価できるような道を示してもらいたい。 企業は、これからは、研究者に限らず画期的な業績を挙げた社員、それが期待される社員に対しては、特別な優遇措置を与える仕組みを作ることが必要になるだろう。他への特許使用を認めるのであれば、額に関わりなく特許料の何割を与えるという契約を結べばよい。(現状は最高額幾らまでという契約形態が多い。)また、今回のように特許独占の場合には、当該製品の粗利の何パーセントかを与えるという契約を結べばよいだろう。また、役員待遇を与え、利益に応じて特別報酬を与えるという方法もあろう。 ところで、やはり心配なのは、発明者などへの優遇制度が、集団主義の日本人の嫉妬心に火をつけるのではないかということだ。和を尊ぶことは決して悪いことではない。だが、これからは、出る杭を打つのではなく、出る杭に倣って皆で努力するという前向きの姿勢で仕事をしていく必要がある。 |