☆ お節介も必要だ ☆

井出薫

 児童虐待が相次いでいる。つい先日、母親が6歳の少女を虐待死させる事件が起きたと思ったら、今度は、男子中学生に3ヶ月もの間食事を与えず、餓死寸前まで追い込むという信じられないような事件が発生した。

 昔から親による子供の虐待は珍しいことではなかった。だが、その原因のほとんどは貧困や跡目争いにあった。いまは違う。事件を起こした親たちを見ても、虐待する理由が見当たらない。二つの事件とも虐待の主役は継母だったが、血が繋がっていないことは虐待とは関係がない。自分の不満や苛立ちを弱い者に向けたとしか考えられない。

 こういう事件が起きると、学校や児童相談所が非難されることが多い。今回も確かに中学校や児童相談所の対応に疑問は残る。だが、子供が虐待されていることを一番よく知っていたのは近所の人たちではないだろうか。

 学校も児童相談所も、公共機関であるがゆえに、プライバシーを盾に取られると弱い。強制的な介入は権利の侵害になりかねないからだ。

 狭い都会暮らしでは、大体のところ、隣近所の暮らしぶりは分かる。だからこそ、都会ではお互いのプライバシーを尊重して、余計なお節介をしないのがルールになっている。

 だからと言って、子供の虐待を見過ごしてよいということにはならない。余計なお節介だ、他人の家のことに口を出すな、と言われても、尋常ではないと思ったら、学校や児童相談所、警察などに連絡して速やかに子供の保護に努めるべきだ。

 子供は親の所有物ではない。社会全体で守るべき宝だ。ときには、良かれと思って執った行動がとんだ的外れで、非難されたり笑い者にされたりすることもあるだろう。だが、それを恐れずに勇気を持って行動することが必要だ。児童虐待の厳罰化や公的機関の権限拡大も一つの解決策だが、可能な限り、周囲の大人たちが協力して子供を守ることが望ましい。

(H16/1/30記)


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