森有人
来年春の台湾総統選挙を前に、台湾独立の阻止を目指す巧みな中国外交がいかんなく繰り広げられた。台湾海峡をはさむ中国台湾の対立は、核で揺れる朝鮮半島と並んで、極東情勢で最大の不安定要因である。日本とASEAN(東南アジア諸国連合)が12月に発出した「東京宣言」では、「東アジア共同体構想」を将来目標に掲げてはみたが、この二つの問題が決着しない限り、画餅に過ぎない。東アジアに欧州共同体のような地域主義が構想の域を出ないのも、米中そしてロシアという大国が複雑に関与する冷戦期の残滓が、この地域に色濃く残り、流動状態を呈しているからだろう。 ■ 難局の芽「台湾国民投票制度」 2003年3月の台湾総統選挙では、民進党の陳水篇総統は、苦戦が続いており、国民党の李登輝元総統の熱い支持基盤である台湾独立派の囲い込みの戦略に打って出た。陳総統の「国民投票の立法化」公約には、そうした事情がある。それに対し、中国政府は「預警」(人民日報11月22日)という、武力行動をも辞さない強硬姿勢をちらつかせる。 96年3月に実施された初の台湾総統選挙では、中国はミサイル発射演習により、力を誇示し、台湾の民族主義の先頭に立つ李登輝氏を牽制。しかし、力に訴える中国の姿は、国際世論にマイナス効果しかもたらさず、民主化を訴える李登輝氏と台湾への国際的理解に貢献しただけだった。 こうした教訓から、中国、台湾の双方が「国民投票の立法化」を巡り、チキンレースさながらの心理戦を繰り広げている。国民投票が制度化されると、台湾独立の可否を台湾住民に問う口実ができる。その場合、「台湾の独立支持」派が、投票の過半数を占める公算が大きい。民主的な手続きを経た「独立支持」という投票結果の意義は大きく重い。2000万人という台湾"国民"の総意を、国際社会も粗略に無視することはできない。中国も、力で、投票結果に抗議するマイナスイメージの大きさを熟知している。だからこそ、立法化前段階で、力ではなく言論や外交で、難局の芽を事前に摘んでしまおうというわけだ。 かつて、台湾の李登輝前総統は、北京五輪の2008年が台湾独立表明の機会であることに言及した経緯がある。北京五輪は、責任ある大国としての中国を国際社会にアピールする場でもある。国際的な衆人監視の下、中国の武力行使はない、という計算が李登輝氏にはあると見られている。一方の中国は、2020年を目途にGDP(国内総生産)を4倍に拡大する経済拡張路線を第16回共産党大会で表明。十分に中国経済が拡大し、台湾との相互依存関係が深化していけば、台湾を中国経済圏に取り込めるという意図が読み取れる。それまでの間は「台湾海峡の危機」は是が非でも回避したいのが本音ではないか。 ■ 中国共産党の正当性と台湾独立 武力行使の辞さないという強い意志表示は威嚇に過ぎないが、「台湾の国民投票制度」が立法化するのを、ただ傍観するわけにもいかない。共産党独裁政権の中国政府の体制基盤は、「国家領土的完整」。つまり、領土の統一をもってこそ、政権が維持され、台湾の独立は政権の正当性喪失につながる。歴史的にもいい得ることだ。日清戦争の敗北で締結した下関条約で、清朝の大政治家・李鴻章は、台湾割譲を受諾する。日本側の全権・伊藤博文は、偉大な李鴻章の外交交渉の巧みさと人徳に感銘を受け、戦争賠償金を大幅に削減したという。しかし、国家領土の分裂の契機となった下関条約によって、李鴻章は奸干・国賊の汚名とそしりを受け続けることになる。 1997年の香港返還交渉に臨むに当たり、中国のケ小平総書記(当時)が「香港返還を実現しなければ、我々は李鴻章になる」と、英国代表に語った有名な逸話は、領土の分裂を恐れる中国共産党の姿を如実に物語っている。古来の伝統と文化に、新しい文化、価値観を融合しめまぐるしく変容を遂げる中国ではあるが、「大一統」「定一統」という言葉に象徴されるように、「領土的統一こそ絶対の価値観」という、国有の為政者観がある。その統一の能力が問われる時、天子=皇帝でさえ、その地位を放逐される。政権からの放逐の恐怖が、中国政府に、台湾独立阻止で、時には過剰とも思える反応をもたらす。こうした伝統的価値観が政府、支配層のみならず、中国社会末端に浸透しているともいう。 さらに、伝統的価値観に基づく「国家領土的完整」と、台湾・民族主義のジレンマの行方は、戦後東アジア地域の政治経済のバランス役を担ってきた米国と、その同盟国・日本の姿勢いかんでも、変わってくる。@台湾側に立ち、対中抑止・対立というスタンスをとるのか、Aあるいは台湾の独立をなだめる一方で、中国の力の行使を容認せず、危機回避の行事役を担う−かだ。これから先、少なくとも日本政府が、独自のシナリオを描くことができても、公然と表明することは難しい。対中、対米そして対台湾関係という3つの糸を輻輳(ふくそう)させるだけで、最適解を実行に移す能力すらないというのが、悲しい哉、実状である。 ■ 現状維持の大国 これまでのところ、中国の温家宝首相の訪米外交が奏効し、ブッシュ米大統領から「中国、台湾のいずれであれ、現状を変えるような一方的な決定に反対する」と、台湾の国民投票制度を牽制する発言を引き出した。極東の秩序形成との関連でいえば、中国、米国という両大国はいずれも冷戦期の残滓には手を付けず、現状維持を望むという意思表示とも解釈できる。6者協議再開の越年が決定した北朝鮮核開発問題も同様に、分断したままの安定状態を臨む中国と米国の協調が、最終的な落とし所を模索しているが、当面、事を荒立てたくない、という両国の意図はみえみえだ。 ■ 幻想の共同体構想 こうしたなか、時折、東アジア自由貿易圏など、新しい地域秩序形成を巡る日中の主導権獲得競争が、賑々しく報じられている。だが、朝鮮半島問題と密接に絡んだ台湾総統選挙の前哨戦に隠された冷戦期の残滓を見る限り、政治・安全保障の視角を欠いた経済的な地域主義・共同体構想そのものがいかに空疎なものであるかは明白だろう。まして、安全保障を他国委ねる日本が、中国、台湾を含む地域の覇権大国のように振る舞い、米国抜きの経済圏を創造することは、空理空論に過ぎない。 日本にとって、ベストの選択は、地域主義の実現に先立ち、WTO、国連という政治経済双方の新しい規範づくりに貢献することだが、残念ながら今の日本は、双方の分野とも古い規範の呪縛にとらわれながら、米国の単独主義の旗振りを標榜しているに過ぎない。 アジアはひとつ…。岡倉天心の世界像が現実のものとして模索され始めるためには、現状維持から現状変革で、米中両大国が明示的か暗黙的に合意が形成される必要がある。中国が、真の経済大国としての地位を築き、近隣外交と秩序形成に目を向ける時、世界もアジアも変わる。その備えの議論は、いまからでも遅くはないのだが…。 |