森有人
政治も経済も米国に振り回され続け、単独行動主義のブッシュ米政権のバンドワゴンに真っ先に追随する日本の姿を案じる向きも少なくない。外交が票に結びつかないとはいえ、小泉内閣の信認が、先の衆院選挙で得られたことのバランスの不自然さを感じ、どうも落ち着かない。 この数年、日本人の脳裏にすぐに思い浮ぶ各国首脳というと、ブッシュ米大統領、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の将軍様・金正日、そして不死身のイラク元大統領・フセイン。この3氏と我がニッポンの小泉首相と共通する部分があるとすれば、シンボリックな政治とカリスマであろう。北朝鮮、イラクを「ならずもの国家」と、名指しでブッシュが批判し、日本も対米追随を鮮明にしてはいるが、この首脳3人と同類のような気がしてならない。内外政で敵味方を単純な二分法で分類し大衆の支持を得ようとし、みずからの政策を正当化する。一言でいうと象徴としての力の政治だ。 指導者としての内実には、もちろん固有の特徴もあるだろう。石油資源を掌握する旧イラクの支配者層は、形式的に選挙で地位を得たフセインの下で一枚岩となり、さまざまな宗派のイスラム世界で独裁体制を敷いた。北朝鮮の方は、世襲制で実績ゼロの将軍様が体制を継承し、軍、労働党の微妙な力の対立と均衡の上に成り立ち、決して単一構造の独裁体制ではないらしい。こうした独裁政権と民主主義国家の首脳とでは権力の質も当然異なるのは、当然ではあるが、権力を行使する政治屋としての本性は一致しているのではないか。 対外的に、首脳は国家の顔ではあるが、国家そのものではない。イスラム世界、北朝鮮、そして単一民族国家の日本のいずれも、ひとつのシンボルとイメージで政治が把握できるほど均一で単調な構造になっていない。その内実を把握する手間を省き、やたらと民族や宗教を対立させる学者も少なくないが、そこに巻き込まれる個人はたまったものではない。しかも、シンボルとしての政治を扱うカリスマの真実の姿が、ただの政治屋か、あるいは政治家であるかの判断は分かれるところ。次の選挙と目先の問題を最優先するのが政治屋なら、日本の首脳は指導者(政治家)といい得る存在か?"偉大な指導者"とどこが同類で、違いは何かの判断は、時間に委ねることとしよう。 |