☆ 「新思惟」外交と寸劇 ☆

森有人

■買春ツアー・寸劇事件の波紋

 中国で発覚した日系企業社員の集団買春ツアーに続く、西安大学での日本人学生と教師の卑猥な寸劇。2つの事件で露になった無知蒙昧さには、日中外交の変化の胎動にとって、悲観的にならざるを得ないような幼稚な材料だ。事実を一面的に伝えたとされる中国側に問題なしとはしないが、それ以上にプラス思考への転換が期待されていた日中関係への影響が懸念される。
 日中国交回復30周年の今年、中国が改革・開放の扉を押し開いてちょうど四半世紀目を迎えた。この間、中国経済は外資導入による発展政策が奏功し、日中貿易関係が米中を凌駕し、緊密な関係が築かれてきた。にもかかわらず、経済的相互依存関係が、一段の政治的関係の深化へと、直接に結びつかないのは、南京虐殺問題はじめ靖国神社公式参拝、教科書問題などを巡り、深い認識の溝があるからだ。しかも、90年代以降、長期の経済低迷に喘ぐ日本は、中国経済の躍進を目の当たりにし中国脅威論がくすぶり、国際社会で認知された大国への道を突き進む中国との軋轢が生じ、無定見にマイナス面を煽る風潮も世の中にあるのも事実だ。

■歴史認識を超えた「外交革命」論

 しかし、政治経済大国化した中国の対日外交に変化の予兆も台頭し始めたのも、注目すべき点である。人民日報・高級評論委員の馬立誠氏が2002年12月発表した「対日関係の新思考」が引き金となり、中国人民大学の時殷弘享受ら知識人の間に「新思惟」、すなわち「外交革命」論争が湧き起こった。その内容は、@中国外交に根強く影響を及ぼしてきた日本の軍事的脅威論を否定、A歴史認識問題から決別、B日本の国連常任理事国入りへの積極的支持、C東南アジアの政治経済分野の日中協調強化、D日本の対中投資促進−という旧来の対日外交方針を180度転換するものだった。
 これらの論陣を張る知識人の多くが、中国外交に大きな影響力を持つ対米研究の専門家であるという。いずれ米中2強時代の世界が出現する公算が大であっても、足下の国際情勢は唯一超大国・アメリカを中心にした世界である。イラク戦争で浮き彫りにされたように、アメリカ単独主義の"仲良しクラブ"に盲目的に追随する日本への警戒心や日本人の対中感情の悪化という諸要因が影響してか、協調路線への急旋回を志向しているのが、この論争の主旨でもある。泥縄の歴史認識に拘泥する両国関係に辟易としていた日本人の一人として、中国知識人の「外交革命」論争は、新時代の扉の向こうを垣間見る想いがする動きだった。

■転機に立つ中国を象徴

 もちろん、中国外交の最終目標がアメリカと対等な地位を築くことにあり、日米同盟が存続する以上、中国にとって、対日日関係が対米関係の"部品"に位置づけられるのは、仕方ない。それでも、日中関係は市場の原理に従い経済的にはさらに深く結びつきながら、東アジア地域経済に大きな二つの重心となっていくことが予想される。この先、対立より協調路線を選択する方が望ましいのは自明だろう。
 上述の馬氏は、「未来の日中関係」として@日米関同盟を強化し中国と対抗Aつかず離れず、ともに相手の隙をうかがうB東アジアでの日中協力―の3つを描いている。中国の政治経済、そして科学技術など各分野に及ぶ潜在的成長力を前提にすれば、対米追随一辺倒の日本外交がいずれ転期を迎えることは多くが認める。であれば、現実を直視し選択すべきシナリオも自ずと明らかになるのではないか。
 確かに、中国は世界第7位の資本主義経済が拡大したとはいえ、共産党一党体制の国に変りはなく、にわかに体制が崩壊するとは信じがたい。したがって、知識人のこうした大論争がそのまま中国外交の方針の実際に反映されるかどうかは、まったく別次元の議論ではある。だが、この種の論争が浸透し、中国政治の軌道が修正されていくのは、過去に繰り返された現象でもあった。それほど、「新思惟」は、転機に立つ中国を象徴する。

■変化を見据える契機

 中国知識人の間で、日本研究家の発言力、影響力は、他の地域研究家と比べても相対的に低位にあるという。その根源にはいうまでもなく、歴史認識問題や日本の度重なる政治家の舌禍事件が影を落とし、「べき論」として日中協調を正面から主張しにくい中国内の事情があるという。そうしたなか、外交研究の主流で影響力大のUSスクール(米国派)から浮上したことの意義は深い。中国学界で歴史認識を超越した対日外交論が浸透し、対日外交研究がさらに深みを増す。さらに、世論への波紋を広がれば、中国政治の実際の議論へと弾みがつく可能性があるのかもしれない。
 日本人の幼稚で、醜悪な一面をさらけ出した2つの事件だが、親日派の中国政治家、研究者、そして対日外交関係者もこれで当分の間、ものいえば唇寒し、「売国奴」のレーベルに脅えるのかもしれない。くだんの寸劇の学生、教師を嘲笑するほどの人格者ではなく、俗な日本人の一人に過ぎないが、この現実、しっかりと直視するとまずはしよう。わが国全体としても、経済便益上の対中国マネジメント論や、心情論的な中国脅威論を超え、中国の変化を見据えた政治経済外交を議論する契機とすべきであろう。

参考文献

 馬立誠著、杉山佑訳「対日関係の新思考」『<反日から脱却>』中央公論新社、2003年10月
 (『戦略与管理』2002年4月)

 時殷弘「中日接近与“外交革命”」『戦略与管理』2003年2月

(H15/11/5記)


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