☆ いつも勝者でいたい ☆

森有人

 いつも勝者でいたあ〜い。どこか強い国についていきたい…。第3者の眼に映る日本という国のイメージは、一言でいうと「幼稚さ」ではないだろうか。「幼稚さ」をさらに煽るのが、事の表層を誇張する世のマスコミか?日本のアジア外交に対する評価、あるいは中国有人衛星打ち上げ成功を受けた騒ぎぶり。この数年来、パターン化した視点に食傷気味の感がする。

 いつも勝者、強い国に追随−。イメージではなく、これが日本の実態かもしれない。

 ブッシュ政権のイラク武力行使を盲目的に支持し、解散直前の与野党は、やる気のない漫ろな審議でテロ特別措置法を成立させた。米国の要請を鵜呑みにして、人もカネも出す政府。さらに、10月初めにバリ島で開催されたASEAN日中韓首脳会議では、ASEANが中国、インドと並んで日本にも申し出た「友好協約調印」は、日米安保を理由にやんわり拒否した。

 「アメリカの忠犬ポチ」と言われても当然だろう。が、不甲斐ない我が国≠ナあっても、独自外交を手がけ東アジアを中心に、国際社会で足場を着実に築こうとする中国と、単純に比較するのは、さほど意味はないことだろう。自由貿易協定はじめ経済・安全保障各方面で協力関係の構築を目指す中国の動きの中に、新たな覇権・勢力圏の形成を意識的に見出そうする。こんなジャーナリズムの論調が、申し合わせたようにワンパターン化し浸透しつつある。

 そうした古典的な「力の政治」「勢力均衡論」や「地政学的」な視点で、眼前の現象を一刀両断に切ることができれば、切る側=書く側は頗る爽快だろう。だが、そこから得られる理解は、世界の複雑な現実に接近するどころが、逆に大きく乖離しがちだ。この数年間の、米国の対外政策と、国際社会の軋轢を思い起こしせば歴然だろう。強大なパワーを誇示する米国のユニラテラリズムが未来永劫、続くとは、現時点で誰も想像しない。同様に、アジアという地域に限定すれば、民主化が進んだ東南アジア主要国が、覇権国家の中国を前に土下座外交を繰り返すか?あるいはまったく逆に、主要国が、中国と均衡を図る対外戦略で歩調をあわせるような姿が簡単に想像できるか?一方の中国も、70年代末のベトナム侵攻と南沙諸島領有権問題が発生していらい、武力による国際紛争とは無縁であり、むしろ方針を180度転換し国際政治経済秩序への参加を指向している。

 かつて、冷戦後のグローバルなパワゲームをチェス盤に擬した米国の外交研究家がいた。「いつも勝者・敗者を明らかにしたい」という商業ジャーナリズムのみなさんは、是非一度、日本というプレイヤーをキングでもクィーンでもない、ただの一兵卒としてチェスゲームを楽しんでみていただきたい。より複雑な世界が見えてくるでしょう…。

(H15/10/17記)


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