☆ 円・人民元烈々 ☆

森有人

■ドル・人民元二軸通貨体制へ

 国際通貨新時代の幕が上がろうとしている。
 固定相場制をとり、米ドルとリンクした中国・人民元への切り上げ圧力が台頭し、9月にドバイ開かれたG7(主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)の場で、日米欧の各国が歩調を揃えた。だが、日本が先頭で旗を振る人民元切り上げ論議だったが、天に向かってツバするかのように、米欧のとんだスケープゴートにされてしまった。足元のメリットを探る日米欧のエゴでこの問題を扱えば、大火傷を負う。そんな予兆をさせる事件であろう。格安の中国製品と競合する日本メーカーにすれば、過小評価されている人民元を変動相場制に移行させ、実質切り上げることは、確かに追い風になるだろう。同時に、それは「国際通貨・人民元」の誕生を意味する。

 ノーベル章を受賞した経済学者、マンデルが昨年、中国を訪問し、近い将来の「ドル人民元二軸通貨体制」の到来を予想し、中国経済の躍進にエールを贈ったことは記憶に新しい。とはいえ、内陸部の開発問題、貧富の格差拡大、さらに国有銀行が抱える巨額の不良債権のしこりなど、国内に課題を山積する中国が、一挙に変動相場制に移行するシナリオは、現実的ではない。国内改革と歩調を合わせ、緩慢ながら堅実に、米ドルに肉薄する国際基軸通貨の道を歩み続けるのではないか。

■通貨史が示す国際政治力学

 国際通貨市場を舞台にした興亡が、国際政治の構図を激変させてきたのは過去の歴史が示す通りだ。日本も無縁ではない。第二次大戦前夜、中国大陸の経済覇権を目指し、日本はイギリスと壮絶な通貨戦争を繰り広げた。そこで日本は、併合した朝鮮半島の中央銀行・朝鮮銀行と満州銀行を出先にして、日本の通貨当局による支配の下に「法幣」制度の整備をもくろみ、中国本土で「円圏」の確立を目指した。だが、大英帝国の圧倒的な資金力、とりわけ金融資本の抵抗の前に、その野望は潰えた。英国との通貨経済戦争に敗北した末に、日本が選択したのが、武力による中国経済封鎖。すなわち、泥沼の日中戦争の幕開けであった。

 さらに、幕末にさかのぼれば、当時の通貨政策が日本の政治体制の転覆という激変をもたらした。銀本位制の英米による帝国主義的圧力によって、徳川幕府は、実質的な銀切り下げと金価格の引き上げを余儀なくされた。押し付けられた通貨政策の誤謬によって、日米通商条約締結の立役者として知られる外交官らは私益を目一杯肥やし、日本は金流出と超インフレが発生し、国家財政の逼迫と国民経済の困窮を究めた。その反動が、尊王攘夷のうねりであり外国人の相次ぐ殺害テロ事件の勃発であり、徳川幕府の政治・経済的基盤の崩壊を招いた。

■日中通貨戦略の差

 では、21世紀の、ドル、ユーロ(欧州単一通貨)と並ぶ基軸通貨・人民元のデビューは、どんな様相を見せつつ、新時代を切り開いていくのか。歴史が物語るように、国際通貨制度を巡る動きは政治そのものであり、輸出企業や現地法人の損得勘定といった経済評価以上に、変化の衝撃は当該国の内外・多方面に及び、そして大きい。政治・経済の両面で、超大国の地位を確実に築きつつある中国と、対米従属依存一辺倒で戦後の国際政治の荒波をくぐり抜けてきた日本とでは、採るべき通貨戦略も、その衝撃も自ずと変わってくるはずだ。

 日本の円は、1985年のプラザ合意が転機となり、事実上、国際基軸通貨としての道が雲散霧消した。当時、アメリカ経済は、双子の赤字を抱え、ドル本位制の地盤がぐらぐらと揺らいでいた。そんなアメリカに代わって、日独が機関車になって突っ走り始め、途中で事の異常さに気付き軌道修正した西ドイツは、東ドイツとの統合から欧州通貨統合への道を選択。日本はといえば、アメリカと一連托生の通貨・経済政策を採用し続ける一方、国内構造改革をひたすら先送りした。その副作用が超円高であり、バブルの生成・崩壊、そして「失われた10年」だった。

■日中対決か協調か

 歴史の教訓からすると、人民元が、一挙に変動相場制の扉を押し開き、日本の円と同じ運命を敢えてたどることは、非現実的なシナリオだ。だとすれば、選択肢は、@国内経済改革をにらみながら、単独でドルに対抗する基軸通貨の道を進むA人民元が主体となり、東アジアの勢力圏とする「アジア共通通貨」の道を進む−のいずれかに限られる。

 いずれがより実現性の高いシナリオか、人民元の将来像を現時点で予測することは難しい。確かなことは、日本の円も、大国・中国の人民元が国際化するのを機に、ドル一辺倒の通貨政策の見直しを迫られるのが必至であるということだ。ドル、ユーロ、そして人民元という「変数」が加わり、それだけ通貨戦略の方程式も複雑さを増す。そこから得られる"アジアのローカル通貨・円"の「最適解」は、少なくとも中国との対決ではなく、協調だろう。単独で対決するには、通貨の背景をなす政治経済力ともに相対的な劣位に立たされることは容易に想像がつく。だとすれば、日本が先頭に立って、目先の景気と経済的利得から「人民元切り上げ」だけを繰り返し主張することは、稚拙な通貨外交とは言えないだろうか…。


[参考文献]
多田井喜生『大陸を渡った円の興亡(上・下)』1997年、東洋経済新報社
  同  『朝鮮銀行』PHP新書、2002年
佐藤雅美『大君の通貨』1984年、講談社

(H15/10/5記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.