☆ 無責任・思考停止―終戦記念日の繰言 ☆

森有人

 今日で58回目の終戦記念日を迎えた。悲惨な結末に終わった太平洋戦争の教訓とはなんだったのか?対イラク武力行使への盲従と有事関連法案の“審議なき成立”という混迷する政治情勢もそうだが、戦争責任問題の領域を超え、"無責任の風土"は社会の随所に露呈してきたかのようだ。

 「思考停止」を象徴する「止む無し」で開戦に踏み切った62年後、「止む無し」と「対イラク武力行使」支持を表明。経済に目を転じれば、過去10年間、やはり「止む無し」と財政金融政策の発動し繰り返し、退出すべき不良企業を延命し続けた。4−6月期のGDP成長率が前期比微増になったとはいえ、構造的な先行き不安を解消しない限り、自律的成長は期待しがたい。いっそ恐慌にでも遭遇し、完全にアク抜けすれば、と捨て鉢に考えたくもなる。銀行と不良債務企業の間だけでなく、リストラと称し人減らしを繰り返す一方で、経営陣は重役の椅子をバケツリレーのように年功序列で禅定する大手企業、弱者の仮面をまとった零細事業者の一群・・・「思考停止」と「無責任」のオンパレードだ。

 戦争末期、日本海軍の神風と同時期に、陸軍もフィリピン方面航空師団が特攻を開始。出撃する若い部下に「君たちばかりを死なせはしない。この自分も最後の一機で出撃する」と、檄を送った某中将が、戦場を離れ台湾の温泉で遊興に耽り生き延びた、という逸話がある。こうした無責任も特段、驚くに値しないのが21世紀の今かもしれない。

 個人責任が曖昧で、集団責任の日本社会を「台形型」と称した歴史学者がいたが、「台形型」組織の失政は底辺で支える社員、国民がそのシワ寄せを食らう。それが嫌なら組織など飛び出せばいいが、自分を含め「無責任」の思想は台形型の末端にもどっぷり浸透し、いかんともし難い。せめて、「思考停止」からの脱皮を、自戒の念を込めて再考したい。

(H15/8/15記)


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