☆ 「日本モデル」の誤解 ☆

森有人

 太平洋戦争で米英中が対日戦後処理案を発した「ポツダム宣言」から、今日26日で48年目を迎える。その後の日本は、民主改革に取り組み、戦後の政治経済社会の骨格を再構築した。米国の対イラク戦争とその後の米軍駐留も、日本の戦後民主化改革をモデルにしたというが、誤解も甚だしく、いい迷惑な話だ。

 敗戦から朝鮮動乱の勃発、米ソ冷戦へと目まぐるしく変化した世界情勢の中で、新生日本は米国の「核の傘」の下、限られた資源を経済成長に重点投入し、今日の平和と繁栄の基礎を築き上げた。経済・物的結果からのみ判断を下し、敗戦がプラスに働いたと評価することも可能だろう。だが、見通しの甘さと戦略的視点に欠いた日本の開戦だったが、一般大衆は、国家の煽動による盲信があったとはいえ、民族の誇りを以って、悲惨で過酷な戦時体制を生き抜いたのではないか。

 戦後初の総選挙に、GHQ司令長官の名前が書かれてあったとか、マッカーサー離日で、「Thank You」と書かれた垂れ幕とともに、「大勢の日本人」が見送りに参集した、との記録もあるそうだが、世情の雰囲気に流される一群が存在するのは万国共通。部分をもって、全体を推し量る愚は慎みたい。唯一の戦場と化した沖縄、ヒロシマ、ナガサキ−の戦後には、想像を絶する苦痛を伴ったことだろう。まして、米軍の極東戦略拠点として「太平洋のシベリア」化した沖縄の苦悩は、「Thank you」とは懸け離れたものだろう。

 宗教原理主義とは無縁の日本ですら、多くの歪みと苦痛をもたらしたのだから、イラクの国民感情はさらに複雑だろう。クサイとウダイというフセインの息子と護衛のたった4人に、米軍は延々4時間も欠けミサイル攻撃で殺害したという。「フセイン政権の復活もなくなり、これでイラク国民も安堵するだろう」との見方もあるが、本当にそうか? 少なくとも駐留米軍の存在を、イラク人の誇りが是認しているようには思えない。

(H15/7/25記)


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