森有人
「中国にアジアという意識はなく、全球的戦略の中にアジアがある。」中国研究の常識でもある。では、日本はどうか?昨今の対外政策と要人の発言からは、意識、戦略的視点の双方とも、低次元の意図しか読み取れない。 先にフランス・エビアンで開催されたG8サミット(主要国首脳会議)で併催された拡大会議に、アジアの超大国・中国が初登場した。対イラク武力行使で鮮明になった米仏の亀裂、グローバルデフレの懸念・・。今回のサミットの主要関心事に、特別な新規さはない。サミットの場で、政策協調を大胆に打ち出す時代でもない。3年前にシラク大統領が発した「意思決定の場ではない」の一言に象徴されるサミットの性格を、中国を初めとする参加メンバー数の拡大が物語っている。 今後の関心はむしろ、ジャーナリズムが金太郎飴のように関心を煽る「国際協調の行方」より、゛ミニ国連化゛したサミットの性格そのものだ。拡大サミットには、先進国のグローバリズム批判に配慮しアフリカ諸国首脳も参加する。中国が正式参加すれば、G8はいずれG9となり、EUの存在で自動的にG10の形成を意味する。国連常任委員会の改革を先取した顔ぶれが早晩、公式化するのは間違いないだろう。 一方の日本は、かつて抱いた゛超大国の幻想"は泡沫のように消えた。米中のスーパーパワーゲームに割って入る性格の国家ではないことは明らかだ。それでも、内実はともかく量の面では経済大国である。ここは地域大国として中国と連携し「アジア橋渡し外交」を志向するのも、サミットと東アジアで存在感を示す方策かもしれない。 ところが、志が低すぎる。かつて力で併合した隣国の「創氏改名」についての、自民党政調会長の想像力が欠落した的外れな発言。中国脅威論の反動か?おっとり刀で、東アジア自由貿易構想を打ち出す政府。戦略的視点や存在感を、うんぬんする以前の脳味噌レベルだ。話題にするだけ、あほらしく、徒労である。 |