森有人
「誰かのために、飛ぶのではない / 誰かのために、飛ばないのではない / 飛んでいいんだ」(「自由」)‐。 歌人、映像作家の寺山修司の没後20周年を、この5月4日迎える。青春の不安と亀裂、傷心を表現した作品の数々。衝撃的なイメージと映像に魅せられた同時代の青年も多いだろう。 寺山の珠玉の作品に描かれた60年代の混迷する青春のイメージと、現代とは、似て非なるもの。振り返ると、高度成長期の物質的繁栄と精神的荒廃の裂け目に、石油危機、ドル不安、食糧危機が幻影のように揺れ動いた。危機の予兆は確かに連綿と燻っているかのようだ。が、21世紀を迎え、憶測交じりに語る「現代の危機」の様相は、さらに生々しくもある一方で、世間には鈍感さすら漂う。 春になれば、喧伝される金融恐慌への不安。冷戦終結という枕詞が陳腐化するほどに変貌を遂げる世界情勢・・。地球大の経済危機が襲った戦間期の世界と日本を、現在の状況に二重写しにして議論する向きもある。酷似する部分のみを誇張しているきらいもあるが、「飛んでいいんだ」と言い聞かせつつも、その術すら見当たらないのが、21世紀初頭の今かもしれない。 「さあ行こう、君と僕 / 手術台の上でエーテル麻酔をかけられた患者のように / 夕暮が、空を背景に広がる時に」(「プルーフロックの恋歌」)―。寺山生誕に先立つ20年前、T.S.エリオットは、20世紀の青春群像を、麻酔をかけられ手術台に向かう患者に喩えた。だが、麻酔が効いた状態で手術台に上がるのなら、まだ良しとすべきなのが今の時世だろう。 「5月の空に自由の翼を手に入れた/ 痛みと引き換えの自由/ 今は、とても自由」。エリオットは春でさえ「残酷」と表現したが、寺山は「五月の空」を見上げ、「痛みと引き換え」で得た「自由の翼」を見た。そして没後20年。寺山が言う自由を得るための痛みは、エリオットが表現した以上に残酷な時代に突入している。 |